自民党幹事長
自由民主党幹事長
自民党幹事長
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2000年に小渕首相が倒れると、森喜朗自民党幹事長、青木幹雄官房長官、村上正邦参院議員会長、亀井静香政調会長と協議を行い、森幹事長を小渕の後継自民党総裁にすることとした。この協議は、首相を五人組によって密室で選出させたものとして、野党から厳しく追及され、国民からも大きく批判された。野中は、森の後継として自民党幹事長代理から幹事長へ昇格した。国会で小渕の死を悼む発言をした鳩山由紀夫民主党代表に対し「小渕前総理のご心労の多くがあなたにあったことを考えると、あまりにも白々しい発言」と厳しく批判した。 第42回衆議院議員総選挙では衆議院比例区に73歳定年制を導入し総務局長鈴木宗男と共に多くの高齢代議士の引退を迫って党内の反発を買い、これが3年後の政界引退の遠因となった。 同年秋の加藤の乱では、加藤派の古賀誠国会対策委員長らと連携、同派議員の多くを切り崩し総理総裁経験者で志帥会最高顧問中曽根康弘から「三木武吉を超えましたなぁ」と賞賛を受けた。その直後、野中は幹事長を辞任、後任に古賀が就任した。野中は幹事長として、加藤の乱で欠席した議員たちを処分することはしなかった。むしろこれによって総理の森には党内にも憂国の士がいることを知って総理の重みを感じ取ってほしいという趣旨の発言をしたのに対して、森が「不信任案が否決されているのに幹事長は何を言ってるんだい」と言ったのを聞いた野中が失望し、幹事長辞任に至ったという。この頃、小渕・森政権時代には官房長官・幹事長代理・幹事長として仕切ったことから「影の総理」と呼ばれたこともあった。
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自民党幹事長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 14:33 UTC 版)
2021年9月、自由民主党総裁選に出馬した岸田文雄の選挙対策本部の顧問に就任し、麻生派を束ねて岸田の勝利に貢献した。そして10月1日、自民党新総裁に就任した岸田文雄のもとで二階俊博に代わり幹事長に起用された。しかし経済再生担当大臣辞任時のスキャンダルを蒸し返されたことが影響して10月31日に行われた第49回衆議院議員総選挙において自身が出馬した神奈川13区で立憲民主党の太栄志に敗れ、自由民主党立党以来初めてとなる現職幹事長の選挙区落選となったが、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活当選し議員の座は死守した。甘利はテレビの開票速報番組でのインタビューにおいて、自身が小選挙区で負けた場合には総裁に幹事長職の進退について判断を委ねる考えを示した。小選挙区での落選を受けて、同日深夜、幹事長を辞任する意向を固めた。在任期間は35日間(10月1日〜11月4日)で、宇野総裁時代の橋本龍太郎、河野総裁時代の三塚博を下回り、第1次安倍改造内閣総辞職に伴う約1か月の麻生太郎に次ぐ、歴代自民党幹事長で2番目に短い在任期間となった。ただし、麻生は福田康夫改造内閣で幹事長に再任され、この時は約50日間在任した。甘利の後任には茂木敏充が就任した。
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自民党幹事長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:15 UTC 版)
2016年8月3日の第3次安倍第2次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事で、自転車で転倒して入院した谷垣禎一の後任として自民党幹事長に就任した。就任時の年齢は77歳と5ヶ月であり、歴代の自由民主党幹事長の中で史上最高齢の就任であった。 2016年8月29日、国土強靭化総合調査会が国土強靭化推進本部に格上げされ、会長から引き続き本部長を務める。 2017年8月3日の第3次安倍第3次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事でも幹事長に留任し、記者会見で「しっかりと党をまとめる努力をしたい」「みなさんから意見を頂戴しながら党運営をやっていく」と抱負を述べた。 2017年10月22日に実施された第48回衆議院議員総選挙において、候補者調整が難航した3つの選挙区(埼玉11区、山梨2区、岡山3区)で、それぞれの候補者を無所属で出馬させ、小選挙区で「勝った方を公示日に遡って追加公認」とした(前年にあった福岡6区の第47回衆議院議員補欠選挙においても、鳩山二郎(前大川市長)と藏内謙(自由民主党福岡県連推薦)が争い、当選した鳩山に追加公認を行った)。小選挙区制が導入されて以来、通常は候補者調整を行い、公認候補を決めておくケースが多い中でこのようなケースは極めて稀である。 「追加公認」も参照 2019年8月3日で幹事長として連続在職日数が1096日に達して前尾繁三郎を抜き歴代最長になった。安倍の総裁任期を延長させた党則改定と連続3選などを実現し、中国との太いパイプを生かした独自の党外交も展開する一方で、無所属や野党の議員も派閥に取り込む強引とも映る政治手法は党内でも物議を醸すも、翌9月の第4次安倍内閣第2次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事でも幹事長に留任した。 2020年9月8日に幹事長としての通算在職日数も1498日となり、それまで最長だった師の田中角栄(1497日)を抜き歴代最長になった。党総裁と内閣総理大臣の辞任を表明した安倍にかわる新たな総裁を決める自民党総裁選挙では総裁選の時期や形式を一任されたことから党員投票を省略させ、菅義偉を真っ先に支持し、9月15日に菅が行った党役員人事でも幹事長に留任した。 2021年8月30日、菅と会談し、「自分には遠慮せず人事をやってほしい」と自らの幹事長交代を容認する考えを伝えた。菅は「よろしいですか。ありがとうございます」と謝意を伝え、幹事長交代を検討する意向を示した。しかし同年9月3日に菅が退陣を表明したため、同月6日に予定されていた党人事も取りやめられ、次期総裁選出まで二階ら党役員は留任することとなった。同年10月1日、岸田文雄の総裁就任に伴う新役員人事により、通算在職日数1885日で自民党幹事長を退任した。
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