こくみん‐しんとう〔‐シンタウ〕【国民新党】
国民新党
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国民新党(こくみんしんとう、英語: People's New Party)は、かつて存在した日本の政党。略称は国民、PNP。
注釈
出典
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国民新党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:22 UTC 版)
「第21回参議院議員通常選挙」の記事における「国民新党」の解説
「ぶれない・媚びない・驕らない」として、選挙区での候補が当選するなど一定の支持を集めた。与党の議席数が過半数をわずかに割るような場合にはキャスティングボートを握るとして与党に協力する余地のある発言を行った幹部もいたが、その可能性が無くなると野党として活動することを鮮明にした。選挙区では、野党共闘として戦った島根で公認候補が当選したものの、唯一の現職候補であった大分や島根同様に野党共闘として戦った群馬などでは落選した。比例区では、郵政造反組を中心に元衆議院議員や有名実業家、元ペルー大統領などといった個性的な候補者を多数擁立したものの、1議席の獲得に留まった。
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国民新党
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亀井シズカ 国民新党の代表。ジュンイチローのライバルであり、その実力を認めている。
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国民新党
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2005年衆院選・2009年衆院選で候補者を擁立。重複立候補の順位付けはまちまちで、2005年の北陸ブロックでは小選挙区で当選した綿貫民輔の上に単独立候補の新人糸川正晃を据えて当選。2009年の東京ブロックでは1位に単独立候補した政治評論家・中村慶一郎を据え、2位に重複立候補者を置いた。(いずれも落選)
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国民新党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 10:54 UTC 版)
2005年8月、小泉内閣が推進する郵政民営化に反対し、自民党に離党届を提出(受理されず除名処分)。後援会からは「気が狂ったのか」と散々言われたが、小泉政権のおかしな流れをここで止めなければと思ったため、離党届を出した。志帥会会長を辞任。国民新党結党に参画する。 2005年9月、第44回衆議院議員総選挙において、無所属で立候補した堀江貴文(ただし、堀江については、実質的には自民党執行部がバックアップしており、その立候補の記者会見場も自民党本部で行われた)を26,546票差で退けて当選。当選に絶対的に自信があったため、堀江に関しては質問された際「元気な若者でいいんじゃない」と言うぐらいで批判はしなかったが、「あれでは政治家として到底通用しません。本当に国民の生活を考えている政治家からは土の匂いがするものです。ホリエモンからは都会慣れした金の匂いしかしません」と述べている。選挙後、国民新党の代表代行に就任。 2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙には、引き続き広島6区から国民新党公認と民主党の推薦を受けて立候補し、自民党の公認候補に67,479票の大差をつけて11期目の当選を果たした。この選挙では国民新党代表の綿貫民輔と幹事長の亀井久興がともに落選する事態となったため、選挙翌日に綿貫から代表を引き継いだ。
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国民新党
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選挙後の内閣総理大臣指名選挙後、記者団の「誰に投票したか?」という問いに「…綿貫民輔。エヘッ!」と答えた。自民非公認組を糾合した統一会派の結成を模索したが、結局統一会派に参加した議員は野呂田芳成元防衛庁長官のみに留まり、2006年12月には郵政造反組復党問題で衆議院の造反議員11人が自民党に復党している。国民新党結成に伴い、自民党に離党届を出していたが、10月21日、自民党は離党届を受理せずに除名処分を下した。 2006年3月24日には、衆院議長経験者の重鎮ながら堀江メール問題に関して懲罰委員会で質疑を行った。 2007年7月の第21回参議院議員通常選挙では、直前になって富山県選挙区で無所属の森田高の支援を決定し、自ら応援演説を行った。森田は当選後の2009年、糸川正晃(第44回衆議院議員総選挙において国民新党公認、比例北陸信越ブロック単独で当選)の民主党入党に伴い、国民新党に入党している。 2009年の第45回衆議院議員総選挙に際し、自民党の河合常則参議院議員が離党を表明した際、自身の富山県第3区からの出馬見送りを発表し、河合に離党を思い止まらせた。総選挙には比例北陸信越ブロック単独で出馬するも、落選。これに伴い国民新党代表を辞任し、党最高顧問に就任した(後任の代表は亀井静香)。なお、総選挙では富山県第1区から出馬した民主党新人の村井宗明を支援して当選に貢献する一方、自身の選出選挙区である富山3区には後継候補を擁立せず、野党系無所属の相本芳彦の推薦も見送ったため、事実上自民党新人の橘慶一郎元高岡市長の当選に手を貸す形になった。ただし、相本を支持しなかった背景には、綿貫の支持者の一部が支援する無所属の柴田巧への配慮もあった。
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