国民文学欄
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1908年(明治41年)10月1日より「国民文学」欄が開設された。これは、高浜虚子、東春像(俊造(本名)、草水)、嶋田青峰らが担当してできたもので、公平さを旨とし、片上天弦や霹靂火(千葉亀雄、江東)が評論を担当したほか、小宮豊隆、安倍能成など、漱石門下生などもよった。連載小説では、徳田秋声が『新世帯』(1909年(明治42年)10月16日-12月6日)、上田敏が『渦巻』(1911年(明治44年)1月1日-3月2日)を発表したほか、高浜自身2作を発表した。また、森鷗外がイプセン『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』の訳を発表をしたのも国民文学欄においてであった。 しかし、1911年(明治44年)秋ごろに高浜が編集を退くと途端に活性を失い、衰退した。
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