国民文芸会とは? わかりやすく解説

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国民文芸会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/21 21:47 UTC 版)

国民文芸会(こくみんぶんげいかい)は、演劇刷新、民衆芸術進展を目指して1919年大正8年)に設立された団体。

演劇通の外交官小村欣一里見弴田中純小山内薫久保田万太郎ら作家などが開いていた懇親会「劇友会」が発端である。会員には他に久米正雄吉井勇長田秀雄らもいた[1]

当時、原敬内閣で民力涵養を唱えていた内務大臣床次竹二郎が賛同し、床次を相談役として1919年4月に国民文芸会として発足した。設立趣意書[2]では、劇作家俳優の育成、労働者のための演芸などを目標としていた。会員には実業家政治家も名を連ねた。

国民文芸会は開演時間短縮、入場料低減、脚本検閲問題などの課題に取り組み、その過程で国立劇場設立の提案が出された。1923年(大正12年)初頭から国立劇場設置運動が活発になったが、一部の劇作家からは反対意見も出され、結局関東大震災のため、運動は中断した。

このほか、その年の優れた俳優や劇作家に「国民文芸賞」を授与した[3]。これは毎月初日に各劇場を見て歩いたうえで与えた賞で、文学賞、演劇賞の日本最初の運動であった[1]

大正デモクラシーの一潮流といえる団体だったが、右翼的政治家であった床次の影響力を払拭できず、民力涵養運動内務省の広報担当組織としてのイメージがついて回った。

国立劇場設置運動

国民文芸会による設置運動のほか、明治期の演劇改良会による国立劇場構想、大正期の新劇俳優・笹本甲午による請願(1921年)、昭和10年代の中村吉蔵中村歌右衛門らによる運動などがあった。実際に国立劇場が開館したのは第二次世界大戦後の1966年である。

参考文献

注釈

  1. ^ a b 『遊草の二人 潤一郎と勇』真下五一、学芸書林、1977、p44
  2. ^ 坪内逍遙『それからそれ』(1920年)p26に掲載[1]
  3. ^ 『国民文芸会会報』12号(1927年6月)に1920-1927年の受賞者が掲載されている[2]。1928年は該当なし。



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