野党としてとは? わかりやすく解説

野党として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 14:46 UTC 版)

ドイツ社会民主党」の記事における「野党として」の解説

1946年から1947年にかけて西側三国占領地域で行われた最初州議会選挙は、キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟(CDU/CSU)と社民党拮抗する結果となった1947年5月には米英間で「二占領地域の再編に関する協定」が締結され6月から議会にあたる経済評議会ドイツ語版)と内閣にあたる執行理事会閣僚にあたる本部長官が設置されることになった経済評議会議員州議会選挙勢力に応じて選出され社民党は、キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟と同じ20議席(総議席52議席)を得た1947年7月24日キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟自党不利な長官人事案を拒否した際、社民党は突然「ブルジョワ政党との協力前提崩れた以降は野党として協力拒否する」と宣言したため、長官ポストキリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟によって占められた。これは社民党自党党勢拡大誤認したことによるが、この後20年にわたるキリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟与党社民党野党という構図がこの時にできた。 東西対立激化してドイツ分断不可避となり、1948年7月米英占領軍政府長官からの指示西側は「議会評議会」において基本法制定することになった。この「議会評議会」でも社民党キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟同数27議席占めた社民党は「建設的野党」の立場をとり、1949年5月ドイツ連邦共和国基本法(ボン基本法)制定の際には「東側排除されている限り暫定的なものにすぎない」との留保付けながらもその制定積極的に協力したボン基本法により連邦議会設置され1949年8月第1回連邦議会選挙実施されたが、社民党ドイツキリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟敗北引き続き野党となることが確定した社民党東ドイツとの統一重視する立場から欧州会議シューマン・プラン欧州石炭鉄鋼共同体欧州防衛共同体北大西洋条約機構(NATO)などに西ドイツ加入することに反対した。またドイツ連邦軍創設徴兵制にも反対した。しかしこれらの問題においても社民党は「建設的野党」の立場から原理主義的反対続けなかった。例え欧州会議西ドイツ参加することが決まったなら社民党積極的に欧州議会議員繰り出したし、連邦軍創設徴兵制導入基本法第一次改正反対しながら連邦軍兵士権利社会的義務に関する基本法第二次改正には賛成したりした。

※この「野党として」の解説は、「ドイツ社会民主党」の解説の一部です。
「野党として」を含む「ドイツ社会民主党」の記事については、「ドイツ社会民主党」の概要を参照ください。

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