農民党の衛星政党化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 22:24 UTC 版)
「ポーランド農民党」の記事における「農民党の衛星政党化」の解説
労働者党による弾圧によって、野党としての機能を奪われたポーランド農民党は、農民党「左派」が党執行部を引継ぎ1949年11月にルブリン農民党と合同して統一農民党(Zjednoczone Stronnictwo Ludowe, 略称:ZSL)となった。統一農民党は、1956年10月にヴワディスワフ・ゴムウカがポーランド統一労働者党(PZPR 1948年に労働者党と社会党が合同して結成)第1書記に就任したことによる政治的自由の緩和、いわゆる「10月の春」の時期にやや自立的傾向を見せたものの、統一労働者党を中心とする統一戦線の忠実な一員(衛星政党)として、1989年の統一労働者党政権崩壊まで労働者党の農民支部としての機能を果たしていた。
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