農民ジョージ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:56 UTC 版)
ジョージ3世はロバート・ファルク・グレヴィル大佐(Robert Fulke Greville)を通してジョゼフ・バンクスにスペイン・メリノ輸入の可否を尋ねたが、バンクスは合法的な方法がないとして密輸を提案した。それは1789年に実行され、メリノがポーツマスに運ばれた。密輸は3年ほど続いた。キューガーデンで飼育されながら管理がいい加減だったので、バンクスが直々に行うと申し出た。スペイン王室とも直接の交渉がもたれ、それが1790年に成功して輸入されたメリノはキューとウィンザー城へ移された。翌年1月、エディンバラでサー・ジョン・シンクレア(Sir John Sinclair, 1st Baronet)を中心に羊毛協会が組織された。この団体は王室所有のメリノを買いつけ、スコットランド北部の牧羊業者に寄贈した。1796年、トーマス・ヘンティがジョージ3世からメリノを買った。1798年、ジョージ3世は王室が所有するスペイン・メリノをキューからヨーク公爵の所有庭園(Oatlands Palace)に移した。バンクスがスペイン式の管理法を継続した。こうして育てたメリノは1804年8月15日キューに近いリッチモンド公園で競売にかけられ、ジョン・マッカーサーなどが落札した。1808年、ジョージ3世はカルロス4世からメリノを2000頭もらった。ジョージ3世とバンクスが1820年に死去すると、キューのメリノはオッケンデン(Ockendon)のトーマス・ベネット・スタージョン(Thomas Bennett Sturgeon)に委ねられた。
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