選挙後の情勢
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「1991年韓国地方議会議員選挙」の記事における「選挙後の情勢」の解説
広域議会選挙で圧勝した民自党では、盧泰愚大統領の後継者選定を巡って、議院内閣制改憲に持ち込みたい多数派の旧民正党と有力大統領候補である金泳三を抱える旧民主党の間で争いが表面化した。一方、本地方選挙で敗北した新民党と民主党は、一旦は頓挫した両党の統合を再び推進することを決定し、同年9月10日に新たな統合野党としての「民主党」(金大中・李基澤共同代表)を発足させた。 「統合」民主党発足時の院内勢力分野党派議席備考民主自由党214 民主党77 新民67名・民主8名・その他2名 無所属7 新民党との統合に加わらなかった民主2名を含む
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選挙後の情勢
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「第12代総選挙 (大韓民国)」の記事における「選挙後の情勢」の解説
新民党が躍進したこの総選挙で、政治環境に変化が現れ始め、民正党内の穏健派が力を持つようになった。また新民党は大統領の直接選挙制を復活させるための「改憲署名運動」など対与党の強硬な闘争を行なうようになり、6・29民主化宣言へと繋がって行き、第五共和国の終焉を早める作用として機能した。一方で「やらせ野党」、「さくら野党」と揶揄されていた民韓党は、選挙後直後から所属議員の新民党への集団脱党が相次いだことで最終的に3議席という群小政党に転落し、解体への道を歩むことになった。新民党は民韓党など他党からの入党者で、5月までに所属議員数が102人となり、総議席数の三分の一を上回り、国会召集権を単独で確保するまでになった。
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