ぎいん‐ないかくせい〔ギヰン‐〕【議院内閣制】
議院内閣制(ぎいんないかくせい)
議院内閣制では、首相は国会から選ばれる。首相は内閣を組織する。さて、国会は立法府で、内閣は行政府だ。行政府の長である首相は、立法府の国会から選び出される。つまり、議院内閣制では立法府と行政府の関係がきわめて近くなっている。
このことを「内閣が国会の信任のもとに成立する」と言う。議会と内閣は、いわば切っても切れない関係だ。
議院内閣制では、どちらの機関も、相手の機関をやめさせることができる。内閣は衆議院を解散させることができる。また、衆議院は内閣不信任により、内閣を解散させることができる。
その他、首相が議会から選ばれること、その他の大臣も議会から選ばれることなどが、議院内閣制の特徴だ。
(2000.10.14掲載)
議院内閣制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/06 02:28 UTC 版)
議院内閣制(ぎいんないかくせい、英: parliamentary government/cabinet system)とは、行政府の主体たる内閣を議会(特に下院)の信任によって存立させる政治制度[1][2][3][4][5][6]。
注釈
- ^ ドイツでは、アデナウアーやブラントの様に首相職を辞任した後も与党の党首の座には留まったという例が見られる。
- ^ ドイツの場合は、憲法に相当するドイツ連邦共和国基本法で、連邦議会が新首相候補を選出した後にしか内閣不信任案を提出できない「建設的不信任(Konstruktives Misstrauensvotum)」制度を採用しており、逆に首相の信任決議が否決された時以外、内閣は連邦議会を解散できない。これはヴァイマル共和政時代に倒閣だけを目的とした内閣不信任が何度も可決された結果政治が安定せず、その混乱を衝く形でナチスが台頭してしまったことへの反省によるものである。ドイツの内閣は、一見すると議会解散権を持たないように見えるが、実際には与党に信任決議案を出させ、わざとそれを否決させて解散を実現する手法がとられる。しかし、この手法を基本法違反と批判する法学者もいる。
- ^ 日本が立憲君主国であるか否かついては学説上の争いがある。本項では立憲君主制の国家に分類している。
出典
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議院内閣制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 07:17 UTC 版)
大統領は連邦議会と州議会によって選出され、国民が直接選ぶことはできない。大統領は元首であり、全ての行政事項及び議会の制定法は全て大統領の名の下にある。ただし、これらの権限は形式的なものであり、首相と内閣の助言に従って行動しなければならない。 首相と内閣は、国民に直接選ばれた議員から構成されるローク・サバー(下院)の多数派の支持さえ得れば政権を維持できる。大臣は両院に対して責任を有し、また、どちらかの議員から選ばれなければならない。このように、議会は行政を統制する。 同じような組織は州にも存在し、国民から直接選ばれた議会が州知事と州政府を統制する。
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議院内閣制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:50 UTC 版)
18世紀のイギリスで形成された。国王の行政権が次第に大臣に移り、1742年に国王の信認を得ていたロバート・ウォルポール首相が議会の不信任により辞職し、大臣も議会の信任なくしては在職できない慣習が確立した。その後に連帯責任の原則、議会の首相指名による内閣成立制度などが整備された。議院内閣制では内閣成立の指名と内閣の責任追及において議会が内閣をコントロールし、内閣は議会の解散により議会に対する選挙民の信任を問いうる事で、両者間に抑制と均衡が成立する。このようなイギリス型の議会制度はウェストミンスターモデルとも呼ばれる。 長所 - (1)議会主義の貫徹が達成できる (2)議会と内閣の共働で政策を推進できる (3)内閣の責任 = 議会の多数派の責任が明瞭で国民の選挙による責任追及が容易。 短所 - 議会の多数派が内閣を組織するため、内閣の予算や法案が容易に通過し、野党の追及が困難(権力分立が不十分。二大政党制では政権交代による権力分立でこの弊害を緩和)
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議院内閣制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:52 UTC 版)
内閣が議会に対して責任を負い、議会の信任を内閣存立の条件とするタイプ。議院内閣制は、議会に議席を保持する政党を基礎に内閣を組織することから、政党内閣制ともいい、議会の信任に基づいて政権を運営する。政党内閣制は議会の多数党を基盤に成立するもので、閣僚のほとんどは多数党の所属議員によって構成される。ただし、単一政党では議会で安定多数を維持できない場合などには複数の政党が政策協定を締結して連立内閣を組織することがある。現在の日本やイギリスなど、多くの国で採用されている。日本の内閣はイギリスの内閣を模して作られた。議院内閣制の本質をめぐっては内閣の対議会責任を本質的要素とみる責任本質説と、内閣の議会解散権をその要素に含める均衡本質説の対立がある。
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議院内閣制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 06:21 UTC 版)
国会における内閣総理大臣指名選挙によって国会議員の中から内閣総理大臣が選出され、内閣総理大臣を首長とする内閣が組織され、その内閣は国会と連帯して責任を負う制度。 衆議院は内閣不信任決議を可決あるいは内閣信任決議を否決して、内閣に総辞職を迫ることができ、内閣はこれに対抗して衆議院を解散することができる。なお、この場合によらず、内閣は任意に衆議院を解散できると解釈される。
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議院内閣制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 23:13 UTC 版)
しかし、袁は彼を大総統につかしめた革命勢力を好まず、インフラ整備などの近代化政策を自らの手で強権的に進めようとした。宋は最高権力者が専権を振るう状況よりも、議院内閣制に基づいた法による統治、大総統の権限を制限することが、中国を安定させしめると考えた(詳しくは後述)。そこで革命組織を改組して国民党を組織、事実上の党首として活躍、同年12月の選挙では圧勝した。 この間、袁世凱は宋の懐柔を図るがことごとく失敗した。業を煮やした袁は刺客を放ち、1913年3月、上海駅頭で宋を射殺した。なお、宋教仁の唯一無二の理解者であった北一輝は、宋暗殺の刺客を放ったのは孫文であったとしている。
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