せいじ‐けいざいがく〔セイヂ‐〕【政治経済学】
政治経済学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 04:36 UTC 版)
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政治経済学(せいじけいざいがく、英語: political economy)は、経済学にまつわる以下のような分野のことを言う。
経済学の旧称としての政治経済学
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経済学は、当初その名称が「political economy(政治経済学)」であった。これは「economy」が語源的・本来的には「家政学」といった意味であり、そこに「国の」という意味の形容として「political」がつけられた、とよく説明される。そのため古典派経済学の著作では「political economy」を「政治経済学」ではなく単に「経済学」と訳すのが一般的である。その後、「economics(経済学)」という言葉が、アルフレッド・マーシャルによって創られ、経済学を指す名称として広く受け入れられると、「政治経済学」が経済学の名称として用いられることは少なくなった。
一方で、本来「political」には「政治的」あるいは「政策的」の意味が含まれていたが、後にその問題意識が見失われた、という主張もある。古典派経済学においては、その多くに政治的・政策的な主張が含まれていたらからである。アダム・スミスの所論は重商主義批判であったし、デヴィッド・リカードとフリードリッヒ・リストは自由貿易と保護貿易をめぐって論争を行っていた。ジョン・スチュアート・ミルは経済学者であると同時に政治学者でもあった。
主流派経済学における政治経済学
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主流派経済学における政治経済学は、社会選択理論やゲーム理論といった数理的手法および計量経済学の統計的手法によって、経済政策や経済的パフォーマンス等を政治制度や政治的アクターの行動等によって説明しようとする研究分野である。社会選択理論は、投票制度をはじめとする制度の記述とそのパフォーマンスの(公理的)分析のために有用である。ゲーム理論は複数のアクターの行動が互いの利得に影響しあう戦略的状況の分析に有用であり、個々の主体のインセンティブを考慮したうえで,行動の帰結を予測するために用いられる。英語では、political economicsと呼ばれることもある。 次の3つの源流がある[1]。
- 実証政治理論:主体の行動に合理性を仮定して、投票制度などを社会選択理論などを用いて分析する政治学の分野である。社会選択理論やゲーム理論といった数理的手法の厳密な適用が特徴である。社会選択理論とゲーム理論は補完的に用いられることが少なくない。たとえば投票ルールを分析するために、まず社会選択理論的手法で(選好から帰結への対応として)ルールを記述し、次にそのルールのもとでのひとびとの行動をゲーム理論の概念である均衡によって予測する。ローチェスター学派によって主導されてきた。ウィリアム・ライカー、ダンカン・ブラック、アンソニー・ダウンズが代表的研究者である。
- 公共選択論:政治的要因が財政、貿易政策、規制などに与える影響をゲーム論などを用いて分析する経済学の分野である。実証政治理論に比べて、 公共選択論は、ミクロ経済学やゲーム理論をやや軽めに用いることが多かった。たとえば個人レベルの選好やコストまでに溯ることなしに、意思決定その他のコストやアクターの合理性にアドホックな仮定(獲得予算最大化など)を置くこともあった。ヴァージニア学派によって主導されてきた。ジェームズ・ブキャナン、ゴードン・タロック、マンサー・オルソンが代表的な研究者である。
- マクロ経済政策に関する理論的研究:合理的期待仮説を前提に、マクロ経済政策の有効性について研究する経済学の分野である。特に、動的不整合性に着目する。淡水派によって主導されてきた。ロバート・ルーカス、エドワード・プレスコット、フィン・キドランドが代表的研究者である。
異端派経済学における政治経済学
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マルクス経済学における政治経済学は、経済現象を社会構造、制度、文化、政治体制などを含めた広い視野から分析する分野[2]のことを言う。当初から、マルクス経済学は、古典派経済学の政治への問題意識を批判的に継承するとともに、その分析対象として、政治体制と経済体制を含む社会全体を視野に入れてきた。戦後になると、再びマルクス経済学や、それに理解を示す経済学者によって政治経済学が用いられる例が増えた。例えば都留重人や宮本憲一によるものである。冷戦終結後は、政治経済学という言葉がマルクス経済学の発展的継承という意味で用いられることもある。これは自称であり、実態はマルクス経済学そのもの、という場合も少なくない。
戦間期から戦後にかけて、新古典派以降の経済学とマルクス経済学の何れにも属さない立場や、一方に飽き足らなくなった立場からの研究が政治経済学と呼ばれた。その初期の代表例は、カール・ポランニーによる『大転換』である。現在は環境経済学で参照されることが多い、ウィリアム・カップの『私的企業と社会的費用』も最終的に民主主義論に到達する。さらに、ケネス・E・ボールディングも、『経済学を超えて』の中で経済学から政治学を指向する必要性を説き、独自の政治経済学を構築した。日本でも、経済学史研究から多彩な展開を見せた玉野井芳郎の業績などを政治経済学と位置づける見解も存在する。
国際関係論における政治経済学
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国際関係論における政治経済学は国際政治経済学と呼ばれる。これには次のようなものが含まれる。
- 自由主義的研究には、ロバート・コヘインやジョセフ・ナイによるものが挙げられる。国家の貿易政策や通貨政策などが国際的な貿易や国際金融にどう影響するかを研究する。各国の関係が平等に近いものであることを前提として、その相互依存関係に着目する。
- 現実主義的研究には、ロバート・ギルピンやスティーヴン・クラズナーによるものが挙げられる。
- マルクス主義的研究には、従属理論や、イマニュエル・ウォーラーステインによる世界システム論、スーザン・ジョージによる研究が挙げられる。
マルクス主義的研究を環境問題に適用したものをpolitical ecologyと言う。20世紀後半以降、環境問題の顕在化とともに、political ecologyという言葉が使われるようになってきた。political ecologyは単に「政治的なエコロジー」あるいは政治生態学ではなく、political economyのもじりとされるとともに、実質的にも特に従属理論や世界システム論を念頭に置いた意味での政治経済学の環境版とされている。日本ではpolitical ecologyは、政治経済学や環境経済学、政治学よりも環境社会学での紹介・受容が進んでいる。
その他
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社会を政治的・経済的な観点から総合的に分析する研究が政治経済学と呼ばれることがある。ギャリー・ロダンによるシンガポールの政治経済体制分析があげられる。
学術雑誌
主流派経済学における政治経済学
- Social Choice and Welfare
- Public Choice
異端派経済学における政治経済学
- Cambridge Journal of Economics
- Review of Radical Political Economics
国際関係論における政治経済学
- International Organization
- Review of International Political Economy
脚注
関連項目
政治経済学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 00:12 UTC 版)
世界恐慌は「基軸通貨交替」「覇権国交替」に伴う当然の、あるいは必然的な事態と考えられる。英仏を中心とする世界体制が第一次世界大戦で崩れ、米国が覇権国になる途中の出来事であった。世界の富を集めた結果として世界的に通貨が必要であったが、金本位制のもとで通貨創造が出来ない各国は米国からの資金還流を待つしかなかった。しかし米国には覇権国の責任を受ける準備が出来ておらず、国際連盟には参加せず、ドイツなどの経済的苦境を放置した。さらに「真正手形原理によるデフレ政策」を取り、米国の繁栄を世界各国に分かち合うことがなかったため、世界各国の経済的苦境が結局米国自身に跳ね返った。貨幣収縮によって米国の生産量に見合うだけの支払うべき資金(有効需要)がどこにもないからである。米国はインフレを受容して、その本位金保有高以上の資金創造を海外に投資することで国際分業を促進しなければならない立場にありながら、むしろ投資資金を引き上げる事で世界各国の流動性を枯渇させた。モンロー主義(孤立主義)が優勢で、ウッドロウ・ウィルソンの国際主義ではなかった。第一次世界大戦の参戦も、ルシタニア号事件とツィンメルマン電報事件が必要であった。第一次世界大戦後でさえ、ウィルソンが設立に尽力した平和のための国際組織「国際連盟」には上院の反対で参加できなかった。 レンテンマルクを発行しドイツの天文学的インフレ(レンテンマルク発行直前で1$=4兆2000億マルク)を収束させたワイマール共和国のグスタフ・シュトレーゼマンの功績は結局彼の死とともに水泡に帰し、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の勃興を促した。 軍事ケインズ主義を取ったドイツ・イタリア・日本などが急速に復興し、米国のニューディール政策は景気の回復に結び付くには小さすぎたため、状況を好転させたが完全に癒すには至らなかった。ニューディールはケインズ主義の需要喚起策の成功と考えられ、事実、状況を好転させたが、「真正手形原理」のFRBが貨幣発行を金準備にあわせて、激しくマネーサプライを削った悪影響を完全に消去するに充分な、財政・金融拡張政策は組まれなかった。ケインズ自身も自覚していたように、戦争と戦時国債発行によるマネーサプライが強力に余剰生産力を解消したのである。そういう意味でも「デフレ的」な「真正手形説論者」によって1929年に始まった世界恐慌は第二次世界大戦の素地を作ったと言える。事実、ニューディールは世界経済の需給ギャップを埋めるにはあまりにも小さく、財政出動に慎重でありすぎ、期間も十分ではなかった。アメリカは第二次世界大戦によってようやく後先を考えない政府支出を始め、国民もまた強力に政策を支持したことによりようやく不況から脱却し、飛躍するのである(参照:軍事ケインズ主義)。 「ニューディール政策#政策に対する賛否」も参照
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