衆議院解散
衆議院解散(しゅうぎいんかいさん)
解散が行われると、衆議院議員は任期途中であっても一斉に議員資格を失う。解散が行われた日から40日以内に、憲法の規定に基づき総選挙が実施、新しい議員が選出される。また、総選挙の日から30日以内に特別国会が召集、新規内閣が組閣される。
解散について、(1)衆院で内閣不信任が可決、(2)内閣が国会を解散のどちらかで行われる。不信任案可決の時、内閣は議案可決の日から10日以内に総辞職、もしくは議会を解散する。不信任案提出には衆院で50人以上の賛成連署が必要である。戦後、不信任案提出は全部で38件である。このうち議案可決は4件あるが、そのいずれについても内閣は議会を解散した。
一方、議会からの解散に対抗して、内閣にも衆院解散権が与えられている。このときの解散は、首相の自主裁量で行うことができる。形式として、内閣の助言と承認に基づき、天皇が国事行為として衆院を解散する。
戦後、任期満了で総選挙を迎えたのは三木内閣の1例だけである。他は4例の解散・総選挙(第2・4次吉田内閣・大平内閣・宮沢内閣)を除いては、すべて内閣による解散である。
(2000.03.13更新)
衆議院解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/20 00:50 UTC 版)
衆議院解散(しゅうぎいんかいさん)とは、大日本帝国憲法下の帝国議会および日本国憲法下の国会において、衆議院を解散すること。解散によりすべての衆議院議員は、任期満了前に議員としての地位を失う。解散に伴う衆議院議員総選挙を総称して解散総選挙と呼ぶ。
注釈
- ^ 日本国憲法第69条の規定により内閣不信任決議案が可決あるいは内閣信任決議案が否決されて解散する場合についても日本国憲法第7条により天皇の国事行為の対象となる[1](詳細は後述)。
- ^ 衆議院解散には7条解散と69条解散があるという説明がされることがあるが、この分類は解散原因を基準とするか詔書の文言を基準とするかにより文献によって異なる場合がある(詳細は後述)。
- ^ なお、日本国憲法施行後、最初の衆議院解散となった1948年(昭和23年)12月23日の解散の際には、松岡駒吉議長が『衆議院において、内閣不信任の決議案を可決した。よつて内閣の助言と承認により、日本國憲法第六十九條及び第七條により、衆議院を解散する。』と詔書を朗読している[16]
- ^ 理論上は、衆議院解散に限らず、内閣としてのすべての決定事項は一人内閣で決することができるが、議院内閣制を定めた日本国憲法の規定上、内閣の構成員たる国務大臣の多くは、衆議院の多数を占める与党の議員から迎えられることが想定されている。もし内閣総理大臣が与党の意に極端に背き、「一人内閣」にならざるを得ない事態になった場合、衆議院は内閣不信任決議を可決することでその内閣を倒すことができる。しかし、内閣総理大臣が解散権を行使すれば、それによって内閣不信任決議案は廃案となってしまうため、結局内閣総理大臣が解散権を行使しようとすれば、いかなる手段を以ても封じることはできないのである。衆議院解散の判断の是非は、解散後の総選挙によって国民に判断されることになる。
- ^ 議長が詔書を朗読する際には、「第七条」を「だいしちじょう」ではなく、「だいななじょう」と発音することが慣例となっている。これは(議場において議員や速記者等が)「一」や「四」と聞き間違えることを防ぐためである。ただし、1969年(昭和44年)解散時の際に松田竹千代議長が「だいしちじょう」と読んだ例も存在する[32]。
- ^ 所謂天の声解散である。
- ^ 通常は、御名御璽以下の部分は朗読しない[33]。一部の解散時に御名御璽や解散日時・首相の副署部分まで朗読する場合があるが、回数は極めて少ない(1955年(昭和30年)1月24日の松永東議長[注 6][34]や2014年(平成26年)11月21日の伊吹文明議長[35]の例などがある)。
- ^ 詔書が読み上げられて衆議院議員が万歳三唱を行う際には、議員以外の職員、記者、一般傍聴人は、議場の秩序維持のためにこれに呼応した万歳及び喚声を上げてはならないとされており、解散が決定すると、あらかじめ傍聴席などに衛視を配備して警備を強化すると言われている
- ^ もっとも、日本国憲法施行後の昭和20年代では議長が解散詔書を読み上げた後に散会を宣言した例が存在したり(1948年(昭和23年)12月23日の衆議院解散の際の松岡駒吉議長、1953年(昭和28年)3月14日の衆議院解散【いわゆるバカヤロー解散】の際の大野伴睦議長[36]が「これにて散会いたします」と述べており、国会会議録に掲載されている)、近時の解散時に散会宣言があった例(2014年(平成26年)11月21日の伊吹文明議長)もある。
- ^ 衆議院事務局の見解では、解散詔書が発せられたことが内閣から議長に伝達された時点で解散が成立するとされている。
- ^ この直前に第2次松方内閣唯一の与党であった進歩党の政権離脱によって、衆議院がすべて野党側(無所属除く)で占められる状況下で内閣不信任上奏案が上程されるが、内閣は上程直後に衆議院を解散するとともに内閣総辞職を決定した。日本憲政史上、議会解散と内閣総辞職が同時に行われた唯一の例である。
- ^ 開院式は1891年(明治24年)11月29日、閉院式は1892年(明治25年)3月8日に行われた。
- ^ 任期満了選挙によるものであり衆議院解散ではないが、ロッキード解散と呼ばれることもあるので便宜上掲載。日付は任期満了の日である。
- ^ 第78回国会(臨時会)は、1976年(昭和51年)11月4日に閉会。その後、1976年(昭和51年)12月9日に衆議院議員の任期満了。
- ^ 前述のとおり、厳密には衆議院解散ではない。
出典
- ^ 浅野一郎 & 河野久 2003, pp. 35–36、芦部信喜 1984, pp. 513–514
- ^ 伊藤正己著『憲法 第三版』 弘文堂、1995年、518頁
- ^ 日本経済新聞社 2011, p. 96.
- ^ 日本経済新聞社 2011, pp. 96–97.
- ^ a b c d 芦部信喜 1984, pp. 513–514.
- ^ a b c d e f 浅野一郎 & 河野久 2003, p. 36.
- ^ a b c d e f g h 佐藤幸治 1991, p. 58.
- ^ a b 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、845頁
- ^ 野中俊彦 et al. 2006, p. 206.
- ^ a b 佐藤幸治 1991, p. 59.
- ^ a b c d e f g 松澤浩一著 『議会法』 ぎょうせい、1987年、341頁
- ^ a b c 芦部信喜 1984, p. 508.
- ^ 野中俊彦 et al. 2006, p. 207.
- ^ a b 野中俊彦 et al. 2006, p. 205.
- ^ 小嶋和司 『憲法概説』 良書普及会、1987年、437頁
- ^ 「衆議院本会議第21号 会議録」(PDF)『第4回国会』議事録、1948年12月23日、273頁。
- ^ a b c d e f 浅野一郎 & 河野久 2003, p. 35.
- ^ 詳細については福岡政行著 『変わる!政治のしくみ』 PHP研究所、2010年、131頁など参照
- ^ 詳細については宮下忠安・小竹雅子著 『もっと知りたい!国会ガイド』 岩波書店、2005年、20頁など参照
- ^ 『憲法制定の経過に関する小委員会報告書』。pp.137.[出典無効]
- ^ “可決4回、解散直結 「不信任決議の乱」を振り返る”. 日本経済新聞. (2011年6月2日) 2014年4月9日閲覧. "記事本文の一部のみ公開(会員限定領域有)" ※ 現在はインターネットアーカイブ内に残存
- ^ a b 藤本一美 2011, p. 15.
- ^ 帝国議会時代の衆議院帝国憲法改正案委員会(1946年(昭和21年)7月20日)における議員原健三郎に対する憲法担当国務大臣金森徳次郎答弁。
- ^ 衆議院選挙の日程に関する質問主意書に対する答弁(2009年5月22日)
- ^ “公職選挙法 第31条 第5項”. e-Gov. 2020年1月27日閲覧。
- ^ 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、840頁
- ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、218頁
- ^ “解散は阻止できず 反対閣僚、罷免も”. 日本経済新聞. (2012年11月15日) 2014年4月9日閲覧。
- ^ a b 佐藤功著 『新版 憲法(上)』 有斐閣、1983年、56頁
- ^ a b c 参議院総務委員会調査室編 『議会用語事典』 学陽書房、2009年、118頁
- ^ 福岡政行著 『変わる!政治のしくみ』 PHP研究所、2010年、130頁
- ^ 衆議院解散 昭和44年(1969年) - 2014年11月24日閲覧。
- ^ 衆議院解散2012 - 2014年11月24日閲覧。
- ^ 衆議院解散 昭和30年(1955年) - 2014年11月24日閲覧。
- ^ 2014/11/21 衆議院本会議「解散」 - 2014年11月24日閲覧。
- ^ 第015回国会 本会議 第41号 衆議院会議録 1953年3月14日
- ^ 総選挙の場合被災地の延期認めず 政府答弁書を決定 - 共同通信・日本経済新聞2011年5月17日
- ^ “消費税解散に3つの壁…支持率・1票格差・公明”. 読売新聞. (2012年3月9日) 2012年5月1日閲覧。 ※ 現在はウェブアーカイブサイト「archive.is」に残存
- ^ “解散時期「都議選直後より遅くに」…与党幹部求める”. 読売新聞. (2009年7月3日) 2009年7月18日閲覧。 ※ 現在はウェブアーカイブサイト「archive.is」に残存
- ^ “天皇外国訪問「解散権、制約せぬ」=麻生首相、先送り論をけん制”. 時事通信社. Yahoo!ニュース. (2009年7月2日) 2017年10月15日閲覧。 ※ 現在はインターネットアーカイブ内に残存
- ^ “天皇陛下外遊中の衆院解散、首相「法律上、何ら問題ない」”. 日本経済新聞. (2009年7月2日) 2009年7月18日閲覧。 ※ 現在はインターネットアーカイブ内に残存
- ^ 参議院予算委員会2000年4月25日議事録
- ^ “立民、首相の解散権制限で改憲検討を提案”. 47news. 共同通信社. 2023年11月16日閲覧。
- ^ “立憲・泉氏、3勝追い風に衆院解散に追い込む考え 勢い維持が課題”. 朝日新聞. 2024年4月30日閲覧。
- ^ a b 与謝野信. “英国の近況から学ぶ解散権の制約”. アゴラ. 2019年10月3日閲覧。
- ^ 佐藤幸治『現代法律学講座5 憲法 第3版』青林書院、1995年、169頁。
- ^ 佐藤幸治『現代法律学講座5 憲法 第3版』青林書院、1995年、170頁。
- ^ “解散表明 「違憲批判免れぬ」 解散権乱用、野党批判 対策探る動き”. 毎日新聞. (2017年9月26日) 2020年1月23日閲覧。
- ^ “強まる解散風 民主、波乱のTPP”. 日本経済新聞. (2012年11月11日) 2014年4月9日閲覧。
- ^ “衆院選、12月16日 首相、党首討論で異例の解散日明言”. 日本経済新聞. (2012年11月15日) 2014年1月10日閲覧。
- ^ “野田佳彦首相に見た本物の政治家の覚悟。世の中の評価は?”. JBpress. (2012年11月16日) 2022年6月25日閲覧。
- ^ a b “特集 第45回衆議院議員選挙【35】衆院解散、なぜ「バンザイ」”. 時事通信社. (2009年7月21日) 2012年4月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 「ごめんね カオナシ 自民党 お手上げ――解散、名付けると」『朝日新聞』2009年7月22日付朝刊、第13版、第38面。
- ^ a b c d 橋本五郎、飯田政之、加藤秀治郎「日本政治ハンドブック: 政治ニュースがよくわかる!」(一藝社)
- ^ 辻雅行 2006, p. 131.
- ^ a b 駄々っ子・党利党略…解散名称、野党は酷評戦術 読売新聞 2014年11月20日
- ^ a b 【衆院解散】大義は? 争点は? ネーミングは? 首相は25日の記者会見で何を語るのか 産経新聞、2017年9月25日、9月28日閲覧
- ^ 【衆院解散】安倍晋三首相「国難突破解散」 北情勢、未曽有の危機迫り決断 産経新聞、2017年9月26日、9月28日閲覧
- ^ 日本放送協会 (2021年10月14日). “岸田首相「コロナ後の“未来選択選挙”」衆院選へ支持呼びかけ”. NHKニュース. 2021年11月24日閲覧。
- ^ "安倍氏「コロナ脱却V字回復解散」立共を猛批判". 産経ニュース. 産経デジタル. 14 October 2021. 2021年10月14日閲覧。
- 1 衆議院解散とは
- 2 衆議院解散の概要
- 3 衆議院解散一覧
- 4 記録
衆議院解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 21:13 UTC 版)
内閣総理大臣小泉純一郎は、参議院での郵政民営化法案否決を受け、衆議院解散を決意。同日、解散の詔書が発せられ衆議院議員総選挙となった。 その後の経緯は、郵政解散・第44回衆議院議員総選挙を参照
※この「衆議院解散」の解説は、「郵政国会」の解説の一部です。
「衆議院解散」を含む「郵政国会」の記事については、「郵政国会」の概要を参照ください。
衆議院解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 02:19 UTC 版)
憲法第7条及び第69条の規定により、衆議院が解散されると、衆議院の全議員はその身分を失う。
※この「衆議院解散」の解説は、「失職」の解説の一部です。
「衆議院解散」を含む「失職」の記事については、「失職」の概要を参照ください。
衆議院解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:05 UTC 版)
「第44回衆議院議員総選挙」の記事における「衆議院解散」の解説
詳細は「郵政解散」を参照 小泉は解散により自民党の躍進を予想していたが、党内には分裂選挙による大敗を予想する意見も根強かったことから、国事行為(衆議院解散)に関する閣議決定文書への署名を拒否する閣僚が出た。臨時閣議は中断を挟みながら、2時間超に及んだ。 反対閣僚のうち、総務大臣麻生太郎と行政改革担当大臣村上誠一郎は最終的に小泉の説得に応じて署名したものの、農林水産大臣島村宜伸は最後まで署名を拒んだため、小泉は島村を罷免した上で自ら農水相を兼務(8月11日まで。後任は岩永峯一)という形式で閣議決定文書を完成させ、解散に踏み切った。また、この閣議で参議院本会議で郵政民営化法案に反対票を投じた防衛大臣政務官柏村武昭も罷免された。 小泉は、同日夜、解散直後の記者会見で、「今回の解散は『郵政解散』だ。(郵政民営化に)賛成してくれるのか反対するのか、はっきり国民に問いたい」と述べ、郵政民営化を地動説になぞらえ、ガリレオ・ガリレイの創作された寓話の台詞「それでも地球は動く」を引用して民営化の正当性を主張した上で、自民・公明の両党の公認候補が過半数を獲得できなかったら退陣すると明言した。 また、恒例となっている解散のネーミングは、総選挙実施日がアメリカ同時多発テロ事件(2001年)が起きた9月11日であることなどから自爆テロ解散、自民党が分裂選挙で大敗するとの予想からやけっぱち解散などとも揶揄されたが、選挙後は郵政解散が定着した。
※この「衆議院解散」の解説は、「第44回衆議院議員総選挙」の解説の一部です。
「衆議院解散」を含む「第44回衆議院議員総選挙」の記事については、「第44回衆議院議員総選挙」の概要を参照ください。
「衆議院解散」の例文・使い方・用例・文例
衆議院解散と同じ種類の言葉
- 衆議院解散のページへのリンク