バンザイ突撃とは? わかりやすく解説

バンザイ突撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/12 14:22 UTC 版)

バンザイ突撃(バンザイとつげき)は、太平洋戦争中に実行された、玉砕前提の突撃のことである。

概要

戦術的な意味よりも、「捕虜になる位なら誇り高く潔く死ぬ」という思想のあらわれ[1]とも言われ、敵軍優勢の中、補給増援を望めず撤退も不可能な状況の日本兵が、自決する際のように「天皇陛下万歳」「大日本帝国万歳」などの雄叫びを上げて突撃する事を指す。「万歳」の喊声とともに敢行されることから、連合軍兵士から「バンザイ・アタック」(Banzai attack)または「バンザイ・チャージ」(Banzai charge)と呼ばれ、バンザイ突撃とはこれが和訳されたものとされる。英語から再輸入された日本語由来の言葉であるので、漢字で「万歳突撃」と書かれることもある。なお日本陸軍の『歩兵操典』など教範では、突撃に際して「突っ込め」の号令にて喊声を発すると記しているが、喊声の具体的な文句については規定されず、夜間の突撃では喊声を発しないとされていた。

戦術的意義

島嶼部での戦いでは、長期の包囲により備蓄した食糧弾薬が不足し、輸送船も沈められ補給が望めない日本軍によって行われたが、自動火器火砲の充実したアメリカ軍に対し、武器弾薬の欠乏した日本軍が突撃によって勝利した事例は無い。これに対し、アッツ島の戦いタラワの戦いビアク島の戦いペリリューの戦い硫黄島の戦い沖縄戦ソ連対日参戦などではこうした自殺的突撃が戒められ、防御線を敷いた持久型の縦深防御戦術が採られた。ペリリュー島で戦った海兵隊員ユージーン・スレッジは自著[2]に、バンザイ突撃が始まり、これを撃退すれば早々に決着がつくので、むしろ行われるのを待ち望んでいた[3]と記している。設置した重機関銃をバンザイ突撃に対し左右一方から反対サイドに水平掃射すれば事は片付き、また、日本軍がバンザイ突撃をかける際には、その前にざわついたり、逆に水盃を交わして静まりかえったりするので、タイミングも非常に分かりやすかったとされる。一方で、バンザイ突撃とは異なり、夜戦で静かに極力接近してからの白兵突撃は海兵隊にとっても脅威となった。

米陸軍第442連隊戦闘団における「バンザイ突撃」

第二次世界大戦欧州戦線において、日系人のみで編成されたアメリカ陸軍の「第442連隊戦闘団」は、日本語の「バンザイ」を含む各種の雄叫びを上げての突撃を実行した。ただし、「進退窮まった部隊が最後の戦術として行う自殺的な突撃」を意味する「バンザイ突撃」とは別物で、戦術としての、の声を上げての白兵突撃である。用いられた言葉も「バンザイ」だけではなく、ピジン英語で「死ね」という意味の「マケ」、日本語の「バカヤロー」など、個々の兵士の叫び声がこだまし、その絶叫は近隣の村にまで響く程であったという。

一説には1943年11月3日ナポリ南方、ボルツレノ川渡河作戦で、ドイツ軍狙撃兵に対しスコップ武器として突撃をかけたのが最初とされる。この時は個人による突撃に続いた小隊規模のものであったが、後に戦闘の決着をつける、着剣しての白兵突撃が中隊単位でも行われるようになった。もっとも、日系部隊に限らず最後の突撃は一般的に見られたが、特にブリュイエール(ブリエラ)の解放を巡る戦いでこの戦法が多用され、戦場となったは記録者により「バンザイヒルズ」と命名され、アメリカ国務省に報告されたという。

ロシア軍における「バンザイ突撃」

2022年ロシアのウクライナ侵攻において、ロシア軍ウクライナ軍に対して1日24時間絶え間なく1時間に一回程度、分隊位の人数で日本語のバンザイを叫びながら突撃した。これは、バンザイ突撃をしてくるロシア軍に対してウクライナ軍が応射することで、ロシア軍がウクライナ軍の陣地の場所を特定するために行ったものだと考えられる[4]

脚注

  1. ^ 大波篤司 ミリダスJ p582
  2. ^ ユージン・スレッジ著「ペリリュー・沖縄戦記」
  3. ^ 他の資料にも「自殺的な万歳突撃は、士気喪失した敵を粉砕し意志の力だけで優越する火力に打ち勝つことを意図したものであったが、終わりを早めることに役立ち、実際攻略部隊を喜ばせただけだった。」(ゴードン・L・ロトマン著「太平洋戦争の日本軍防御陣地 1941-1955」 P61 大日本絵画)
  4. ^ 「報道1930」BS-TBS 2023年2月7日放送 秋元千明氏の言及 https://youtu.be/Sh5bQNn-kdQ?t=3418

参考文献

関連項目


バンザイ突撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 10:48 UTC 版)

サイパンの戦い」の記事における「バンザイ突撃」の解説

陸海軍3将官自決後に、陸海軍連携乱れ事件発生した師団長斎藤自決したため、参謀長鈴木斎藤に代わって総攻撃指揮執る海軍申し出たところ、海軍側の中部太平洋方面艦隊高級参謀葦名三郎大佐が、まだ南東方面航空長の佐藤中将や第5根拠地隊辻村武久少将健在であったことから、海軍中将少将陸軍大佐指揮を受けることはできない反発し最後の最後になって陸海軍袂を分かつこととなり、南雲命じた総攻撃不参加宣言して席を立っている。しかし、結局は海軍部隊多くは葦名には従わず最後突撃に加わることとなり、最後突撃部隊は、陸海軍残存部隊のほか、行き所失った日本人住民多くが、軍民全力造成続けてきたパナデル飛行場周辺集まっており、そのなかから一緒に突撃に加わると志願する者も相次ぎ軍民入り混じった混成部隊おおよそ3,000となった。しかし、武器が無い者も多く、棒に銃剣結び付けたものや、石を持っただけの者もあった。突撃部隊は3軍に分けられ海軍基幹部隊海岸沿いに、陸軍基幹部隊2軍中央山地分かれて突撃することとした。海軍部隊には残存戦車5両が先頭を進む事になっていた。7月6日日没後に自決した3将官遺体火葬付す7月7日3時アメリカ軍向かって進撃開始した。これについても、陸海軍決別することはなく、陸軍部隊鈴木海軍南雲率いて突撃したという証言もあって詳細不明である。 アメリカ軍攻撃直前となる7月6日日没後に捕らえた日本兵捕虜からこの攻撃情報得ており、各部隊警戒体制とらせていた。とある海兵隊兵士は「バンザイ突撃」の観覧呼び掛けるジョークポスターを作っている。そのポスターには「酒に酔っぱらったジャップどもの突撃の様を見よアメリカ海兵隊優秀な兵士たち実弾演習様子見よ今晩オールナイト上演入場無料、さぁお友達連れていらっしゃいと書いてあったが、ホーランド・スミスアメリカ軍兵士士気煽るため、そのポスター複製して全部隊に配布するよう命じている。しかし、「スミスVSスミス事件」で混乱続いていた第27歩兵師団は、その元凶となったホーランド・スミスからの再三警告軽く見て哨戒十分に行っていなかった。さらに、アメリカ軍日本人集団をなしているのを発見すると、それが兵士であろう民間人であろう構わず激烈な爆撃浴びせてズタズタにしていたが、第27歩兵師団警戒甘かったため、日本軍突撃準備集まっていることも察知できていなかった。そのため日本軍入念に突撃準備を行うことができた。 7月7日午前3時出撃した日本軍は、午前4時30分にサイパン西岸進撃していた第27歩兵師団105連隊前線襲撃した攻撃前に日本軍突撃前に入念な偵察をして、第105歩兵連隊前線警戒が弱いことを察知しており、日本軍海岸伝い森林抜けて鉄道伝いの2方向から突撃してきた。第105歩兵連隊前面見通しの悪い丘があったにも関わらず偵察出しておらず、日本軍接近察知することができなかった。第105連隊日本軍突撃に気が付いたときには既に目前迫っていたうえ、多数の兵がまとまっていたため射撃が間に合わず近接戦闘引きずり込まれる事となり、たちまち海岸側に配置されていた第2大隊包囲された。日本兵多く銃剣軍刀棍棒しか所持しておらず、アメリカ兵銃撃ではなく斬撃殴打多数殺傷された。第2大隊長エドガー・マッカーシー少佐日本軍突撃を「その様子はまるで前に見た映画バッファロー集団突進してくるシーン似ていた。それを地面設置したカメラ見上げている様だったが、日本兵次々と突撃してきて立ち止まる事はなかった。」と述べている。 第105歩兵連隊砲撃支援要請近くにいた第10海兵連隊12門の野砲支援砲撃行ったが、距離があまりに近かったため、砲身をほぼ水平にし、さらにすぐに砲弾炸裂するように、信管0.25秒で点火するようセットして砲撃した。それでも敵味方入り交じっているため、友軍誤射してしまうこともあった。日本軍第2大隊前線突破すると、その奥に配置されていた第1大隊包囲した。両大隊はタナバク陣地築いて生存図ったが、突撃部隊との激し近接戦闘が行われ、第105連隊第1大隊ウィリアム・J・オブライエン英語版中佐は、突撃する日本軍に対して二丁拳銃応戦、それを撃ち尽くすとジープ設置してあったブローニングM2重機関銃突撃兵多数殺傷、それも撃ち尽くしてしまうと、「第105連隊第1大隊第2大隊には、現在わずか100名の兵士残っているに過ぎない後生だから弾薬医療品直ち送って欲しい」と緊急支援要請打電した直後日本兵斬殺されてしまった。オブライエン死後メダル・オブ・オナー送られている。日本軍残され数少ない迫撃砲支援砲撃行っていたが、その砲撃アメリカ軍大きな損害与えた一方で日本軍友軍中にも躊躇なく砲撃したため、友軍迫撃砲弾倒れ日本兵多かった。 第105歩兵連隊第1線突破した日本軍は、その後方に展開していた第10海兵連隊第3大隊H.S砲兵中隊にも迫った生き残っていた95式軽戦車突進してきたので、海兵隊野砲水平にして零距離砲撃戦車撃破したが、その間日本兵は第10海兵連隊第3大隊H.S砲兵中隊指揮所を背後から襲撃した。たちまち乱戦となり、12門の砲の一部日本軍奪取され2門が破壊された。海兵隊員塹壕の中で必死応戦行ったが、第3大隊長ウィリアム・L・クラウチ少佐戦死している。この砲兵陣地攻撃したのは陸軍大佐率いられ海軍部隊主力一団であり、指揮官巧み指揮による組織的な攻撃であったという。 夜を徹して激し戦い繰り広げられたが、アメリカ軍夜明けと共に体勢立て直すと、予備回っていた第2海兵師団主力となって反撃開始した戦闘昼まで続き日本軍突撃部隊壊滅し多く日本兵自決をしたり、最後悟って無抵抗殺され、ここで日本軍組織的抵抗終わりを告げたアメリカ軍確認した遺体は、バンザイ突撃で戦死した兵士の他、自決した民間人含めて4,301体にも上りいたるところ日本人軍民多く遺体積み重なっていた。一方で孤立したアメリカ軍105歩兵連隊の2個大隊は、定員1,200人のうち、戦死者409人、戦傷者650人の損害被って ほぼ全滅態となった。海兵隊損害含めると、日本軍のバンザイ突撃で被った損害は1,500人を超えており、サイパンにおけるアメリカ軍損害をさらに増大させた。 日本軍のバンザイ突撃を撃破したアメリカ軍は翌7月8日より北端向かって掃討作戦開始したサイパンにおける戦い終盤戦は、ホーランド・スミスタポチョ山とバンザイ突撃で大損害を被った27歩兵師団後方下げたため、第2海兵師団と第4海兵師団の手争いとなり、各部隊最後土地占領するといった功績勝ち取るべく、あたかも徒競走のように争った日本軍洞窟草むらに潜み絶望的な抵抗行ったが、アメリカ軍火炎放射器爆薬容赦なく日本軍殲滅しながら前進し7月9日には日本兵日本人民間人北端マッピ山北面やマッピ岬追い詰めた追い詰められ多く日本兵民間人は、アメリカ軍による投降呼びかけ応じことなく自決したり、バンザイクリフスーサイドクリフから身を投げた詳細は#集団自決後述)。なかには最後の抵抗としてアメリカ軍向けて小銃乱射していた民間人女性もいたが、海兵隊員は彼女の足を撃ち抜いて捕虜としている。沖合では巡洋艦駆逐艦艦砲射撃による支援行っていたが、大量日本兵民間人遺体沖合にあるアメリカ軍艦艇周辺まで流れ着いており、軽巡洋艦モントピリア」の水兵ジェームズ・J・フェーイーは海面日本人遺体埋め尽くしているのを見て衝撃受けた娯楽少な軍艦上において、艦首から艦尾まで日本人漂流遺体数えながら駆け抜けるという遊び水兵の間で流行り、フェーイも参加した20体を数えたところで止めてしまったという。やがて艦砲射撃任務が終わると、「モントピリア」は海面に漂う遺体おかまいなし轢きながら航行したが、遺体スクリューからまるため、ときどき停船して潜水員が遺体取り除かなければならなかった。 この日を以ってアメリカ統合遠征軍司令ターナーサイパン占領宣言したスプルーアンスサイパン占領南雲自決報告聞き「この作戦で私がもっと嬉しかった事は、サイパン敵軍指揮官南雲中将最期である。南雲真珠湾攻撃ミッドウェー海戦の際の日本艦隊指揮官であった中略)スリーストライクのアウトというわけだ」と喜んだ

※この「バンザイ突撃」の解説は、「サイパンの戦い」の解説の一部です。
「バンザイ突撃」を含む「サイパンの戦い」の記事については、「サイパンの戦い」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「バンザイ突撃」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「バンザイ突撃」の関連用語

バンザイ突撃のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



バンザイ突撃のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのバンザイ突撃 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのサイパンの戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS