米陸軍第442連隊戦闘団における「バンザイ突撃」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 18:19 UTC 版)
「バンザイ突撃」の記事における「米陸軍第442連隊戦闘団における「バンザイ突撃」」の解説
第二次世界大戦の欧州戦線において、日系人のみで編成されたアメリカ陸軍の「第442連隊戦闘団」は、日本語の「バンザイ」を含む各種の雄叫びを上げての突撃を実行した。ただし、「進退窮まった部隊が最後の戦術として行う自殺的な突撃」を意味する「バンザイ突撃」とは別物で、戦術としての、鬨の声を上げての白兵突撃である。用いられた言葉も「バンザイ」だけではなく、ピジン英語で「死ね」という意味の「マケ」、日本語の「バカヤロー」など、個々の兵士の叫び声がこだまし、その絶叫は近隣の村にまで響く程であったという。 一説には1943年11月3日のナポリ南方、ボルツレノ川渡河作戦で、ドイツ軍狙撃兵に対しスコップを武器として突撃をかけたのが最初とされる。この時は個人による突撃に続いた小隊規模のものであったが、後に戦闘の決着をつける、着剣しての白兵突撃が中隊単位でも行われるようになった。もっとも、日系部隊に限らず最後の突撃は一般的に見られたが、特にブリュイエール(ブリエラ)の解放を巡る戦いでこの戦法が多用され、戦場となった丘は記録者により「バンザイヒルズ」と命名され、アメリカ国務省に報告されたという。
※この「米陸軍第442連隊戦闘団における「バンザイ突撃」」の解説は、「バンザイ突撃」の解説の一部です。
「米陸軍第442連隊戦闘団における「バンザイ突撃」」を含む「バンザイ突撃」の記事については、「バンザイ突撃」の概要を参照ください。
- 米陸軍第442連隊戦闘団における「バンザイ突撃」のページへのリンク