米陸軍飛行幹部候補生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/01 16:07 UTC 版)
「ポール・マンツ」の記事における「米陸軍飛行幹部候補生」の解説
マンツはカリフォルニア州のマーチ飛行場にあるアメリカ陸軍飛行学校への入学に応募したが、入校資格には少なくとも2年間の大学教育が必要だと言われた。スタンフォード大学の用箋を使用した企みにうったえたらしく、マンツは何とか偽の書類を使って入校の許可を取り付け士官候補生となることに成功した。(マンツはちゃっかりと自分の過去の飛行経験に関することも公式には申告しなかった) マーチ飛行場での訓練の卒業を目前にした1927年にマンツはコーチェラ渓谷上空を単独飛行しているとインディオから列車がひらけた砂漠の台地の長い勾配を西に向けて上っているのを発見した。マンツは機体を捻って降下させ線路まで数フィートの高度で水平に戻し、機関士が繰り返し警笛を鳴らすまで列車に相対して飛行させた。最後の瞬間でマンツは機首を上げ、「勝利の横転」をしてみせてから飛び去った。この手の危険な曲芸飛行は1920年代の航空規則の緩やかな時代ではかなり一般的なことであったが、その列車の乗客の中には卒業式に出席するためにマーチ飛行場に向かっていた高位の将校がおり、マンツは直ぐに陸軍から除隊させられた。伝えられるところによれば、教官はマンツに彼が類まれなる操縦士になる素質を持っていることを明言し、航空業界で仕事を続けるように励ましたとされている。
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