ペリリュー島
ペリリュー‐とう〔‐タウ〕【ペリリュー島】
ペリリュー島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/07 01:24 UTC 版)
ペリリュー島 | |
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地図 | |
所在地 | パラオ・ペリリュー |
所在海域 | 太平洋 |
所属諸島 | パラオ諸島 |
座標 | 北緯7度00分00秒 東経134度14分00秒 / 北緯7.00000度 東経134.23333度座標: 北緯7度00分00秒 東経134度14分00秒 / 北緯7.00000度 東経134.23333度 |
面積 | 13 km² |
最高標高 | 50 m |
プロジェクト 地形 |
ペリリュー島(ペリリューとう、Peleliu Island)は、パラオの島の一つ。パラオ諸島の主要な島のひとつで、パラオの主要諸島の南西部に位置する。ペレリュー島[1]、ペリリユウ島、プレリュー島などとも。
北東にカープ島やロックアイランドをはさんで旧首都コロール島や現首都バベルダオブ島があり、南西にはアンガウル島が存在する。面積はおおよそ13km2、標高は最大で50m。ペリリュー州に属しており、同州の住民の多くがこの島に居住しており、州の中心でもある。島内にはクルルクベド、Ongeuldel、Imelechol、Lademisangの4つの村落があるが、Lademisang以外は北部に集中しており、多くの住民がクルルクベドに居住する。
日本との関係
第二次世界大戦時には太平洋戦争のマリアナ・パラオ諸島の戦いにおいてペリリューの戦いの中心地となり激しい戦闘が行われ[2]、旧日本軍の歩兵第2・第15連隊は壊滅した。島内で決戦を行った日米軍の遺構が多く残され、多くの戦車やLVT、零戦などの航空機、破壊された停泊中の艦船や上陸用舟艇、兵士の持っていた水筒、ヘルメットなどが島内に点在しているほか、現地民間人等の戦没者墓苑がある。今日の島の植生は主に戦闘によって焼失したあとに再生したものであり、戦争の傷跡を癒している。
明仁天皇・美智子皇后は第二次世界大戦後70周年の2015年4月8日から9日にかけてのパラオ訪問に際し、島の南端に日本国政府が1985年設置した慰霊碑「西太平洋戦没者の碑」を訪問した[3]。
交通
船や航空機があり、チャーターでの利用のほか、船は週に2度程度の頻度で定期便が出ている。飛行場としては大東亜戦争当時から存在する日本軍が整備したペリリュー飛行場が利用されている。港は北部に存在するが、水深が浅いために寄港できるのは小型の舟に限られており、日本は港湾の整備のために無償資金協力を行っている[4]。第二次世界大戦時には北に隣接するガドブス島とは橋で結ばれていたが、戦闘で失われ現在はない。
観光
ガドブス島などに近い北西の海域がパラオでも有数のダイビングスポットであるほか、第二次世界大戦時の戦跡や戦没者墓苑などが存在する。同島中央部にはペリリュー神社が存在する。
ギャラリー
関連項目
註
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ) 小学館
- ^ なお、同時期に南西のアンガウル島でもアンガウルの戦いが行われている。
- ^ “皇室:パラオ・ペリリュー島 両陛下の訪問を歓迎”. 毎日新聞社. (2014年12月12日) 2014年12月13日閲覧。
- ^ “パラオの「ペリリュー州北港整備計画」に対する無償資金協力について”. 外務省 (2005年12月29日). 2014年6月3日閲覧。
ペリリュー島
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「マリアナ・パラオ諸島の戦い」の記事における「ペリリュー島」の解説
詳細は「ペリリューの戦い」を参照 ペリリュー島はパラオ本島(バベルダオブ島)の南約50Kmに位置する島で、大規模な飛行場が設置されていた。このため日本軍は島をパラオ諸島の重要拠点とし、1944年4月から防衛強化を始めた。アメリカ軍がペリリュー島の攻略を開始したときの島の日本軍(陸軍海軍計)は約11,000名であった。アメリカ軍は9月15日に上陸を開始し数日の戦闘で飛行場地域を確保したが、日本軍は島の山地(最高約90m)の自然洞窟等に構築した陣地から反撃した。アメリカ軍は山地の掃討を目指したが、日本軍の抵抗により掃討はなかなか進捗せず、アメリカ軍第1海兵師団は上陸以来の損害の累積が大きくなり、10月末に別の師団(陸軍第81歩兵師団)と交代して島から撤収した。その後、山地の日本軍の陣地はアメリカ軍により逐次奪取され、11月27日にアメリカ軍は掃討作戦の終結を宣言した。終戦後の日本軍の生還者は約450名であった。小さな島で日本軍が長期持久の方針で2ヶ月以上にわたり抵抗を続けることができたことは、日本の島嶼防衛方針に大きな影響を与え、その後の硫黄島や沖縄の防衛戦に生かされることになる。
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