投降とは? わかりやすく解説

とう‐こう〔‐カウ〕【投降】

読み方:とうこう

[名](スル)戦うことをやめて、降参すること。「武器捨てて―する」


降伏

(投降 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/11 06:33 UTC 版)

降伏(こうふく、降服とも)とは、戦争において軍隊、あるいは個々の戦闘員が敵に対する戦闘行為をやめて、その支配下にある地点・兵員・戦闘手段を敵の権力内に置く事。投降とも。広義には抵抗を止めて相手に服従する事。


  1. ^ San Remo Manual on International Law Applicable to Armed Conflicts at Sea, 12 June 1994 ,47.i
  2. ^ a b 第13回参議院外務委員会昭和27年5月29日


「降伏」の続きの解説一覧

投降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/13 16:46 UTC 版)

バイレンの戦い」の記事における「投降」の解説

カスターニョス軍が到着したことでデュポン和平要求スペイン軍数日間交渉した交渉のことを知るとヴィーデルは撤退したが、スペイン指揮官がヴィーデル軍が投降しなければフランス軍惨殺する脅したためデュポンはヴィーデル軍を呼び戻して降伏させた。自らの剣をカスターニョスに渡すとき、デュポンは「将軍あなたがた今日誇りを持つがいい。なぜなら、20以上の会戦挑んだ私が負けたのは今回がはじめだからだ。」と話し、それに対しスペイン人は「誇りを持つべき理由は、私がそんな会戦居合わせたことは一度もなかったからだ。」と応酬したという。

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投降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/16 16:51 UTC 版)

ルイス・バカルター」の記事における「投降」の解説

誰が大物バカルターを捕まえるかでFBNFBI警察検察争った。バカルターは、殺人罪起訴ではないこと、刑期10年を超えないことを条件デューイ密かに自首打診しFBIにも似たような打診をしていたと言われた1938年4月FBI投降し連邦裁判かけられパートナーシャピロ反トラスト法違反3年刑だった。州検察デューイはバカルターに250年刑期相当する重い告訴検討していることを公言していた。連邦法反トラスト法麻薬取締法の方州法強請殺人)より総じて刑が軽かったため、バカルターが自首するなら連邦の方だと見られていた。 1939年8月24日ニューヨークマンハッタン街中フーヴァーFBI長官待機するのもとに現れ自首したフーヴァーへの口利きシンジケート大物頼ったといわれ(一説フランク・コステロ)、著名コラムニストウォルター・ウィンチェルを介してフーヴァー接触したウィンチェルコステロフーヴァー共通の知人)。身柄確保現場にはウィンチェルフーヴァー一緒に待機していた。ウィンチェル2日後事の顛末自分のコラム掲載した新聞は、フーヴァーがバカルターにベストなオファーをしたと報じた一説に、フーヴァーとは仲介者を通じて連邦法裁かれるのみで州検察へは引き渡されないとの約束交わし、バカルターはそれを信じて投降したが、投降後、そんな約束なかったことに気づき、罠に嵌められたと悟ったとも伝えられた。 投降場所や時期はバカルターに近い仲間モー・ディンプル・ウォリンスキーが段取りしたともいう。ウィンチェルによれば、バカルター引き渡しの為何度も電話やり取りした先方の男は謎の人物で、投降直前顔を合わせた時、覆面していた。投降時、バカルターにかかる懸賞金は国と州合わせて5万ドルまで高騰していた。 デューイ捜査班を構成するニューヨーク市警警官が、バカルターを護送中だったFBI捜査官小競り合い起こした警官はバカルターを強引に事情聴取しようとし、FBI邪険に追い払われた。ニューヨーク市長フィオレロ・ラガーディアは、「おめでとう。FBIニューヨーク当局)に何のメダルもよこさなかった」と皮肉った

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投降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:47 UTC 版)

シャミール」の記事における「投降」の解説

1855年2月アレクサンドル2世即位し1857年友人アレクサンドル・バリャチンスキー大公カフカーズ副王任命したバリャチンスキー大公は、大規模な軍事行動の外、買収という手段活用したシャミールの元からは、次第人々離れ抵抗継続するには余りに少数の人間しか残らなかった。 シャミールは、グニブ山に撤退し1859年8月兵士400人と大砲4門と共にグニブ防衛準備した。グニブには10以上の大隊集結しバリャチンスキー大公は、シャミール武器捨て和平締結するよう提案したが、シャミールはこれを拒否した8月22日24日最後の攻撃が行われ、シャミール少数部下と共に一角追い詰められた8月25日大公は、再び投降を勧告しシャミール今度はこれに従わざるを得なかった。大公は、シャミールの投降を歓迎し、彼をロシア皇帝の元に送った1859年9月15日シャミールは、ハリコフ郊外のチュグエフアレクサンドル2世謁見した。皇帝は、シャミールに金のサーベル贈り、「最終的にロシア来てくれたことを非常に喜ばしく思う。もっと早く来てくれなかったことが残念だ後悔することはないだろう・・・」と語った。 投降後、シャミールは、ロシアの各都市において、「カフカーズナポレオン」として歓迎された。トゥーラでは武器工場見学し豪華な武器と名前入りサモワール贈られた。ペテルブルクでは、名誉警衛隊軍楽隊出迎え皇帝即位式すら凌ぐイルミネーション灯された。彼がペテルブルクを去る際には、見送り群集が駅に殺到し出発が遅れるほどだった。 1859年10月シャミールは、次男ガジ=マホメドと数人信頼できる盟友と共にカルーガ転居した。

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投降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 23:34 UTC 版)

天狗党の乱」の記事における「投降」の解説

12月11日天狗党一行越前国新保宿(福井県敦賀市)に至る。天狗党慶喜自分たちの声を聞き届けてくれるものと期待していたが、その慶喜京都から来た幕府軍率いていることを知り、また他の追討軍も徐々に包囲網狭めつつある状況下でこれ以上進軍は無理と判断した前方封鎖していた加賀藩監軍永原甚七郎に嘆願書始末書提出して慶喜への取次ぎ乞うたものの、幕府軍はこれを斥け17日までに降伏しなければ総攻撃開始する通告した山国兵部らは「降伏」では体面損なうとして反対したが、総攻撃当日12月17日1865年1月14日)、払暁とともに動き出し鯖江府中の兵が後方から殺到すると、ついに加賀藩投降し武装解除し一連の争乱鎮圧された。 永原投降した天狗党員を諸寺院収容しかなりの厚遇をもって処した。しかし、田沼意尊率い幕府軍敦賀到着する状況一変する関東において天狗党もたらした惨禍を目の当たりにしていた意尊らはこの光景激怒し加賀藩から引渡しを受けるとただちに天狗党員を倉(鰊粕貯蔵施設)の中に放り込んで厳重に監禁し小四郎一部幹部達を除く者共には手枷足枷をはめ、衣服下帯一本限り一日あたり握飯一つ湯水一杯のみを与えこととした。腐敗した用便用の発する異臭籠る狭い倉の中大人数押し込められたために衛生状態最悪であり、また折からの厳寒相まって病に倒れる者が続出し20名以上が死亡したこの時捕らえられ天狗党828名のうち、352名が処刑された。1865年3月1日元治2年2月4日)、武田耕雲斎幹部24名が来迎寺境内において斬首されたのを最初に12日135名、13日102名、16日75名、20日16名と、3月20日旧暦2月23日)までに斬首終え、他は遠島追放などの処分科された。

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投降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 05:48 UTC 版)

川口放送所占拠事件」の記事における「投降」の解説

藤野中佐窪田少佐らと会談し送電止められている事を告げこれ以上やっても成功見込み無いと言って説得した窪田少佐らは説得を受けて計画失敗悟り行動中止決めその場で藤野中佐らに投降したその後寄居演習隊の高島中隊長駆けつけ隊員に帰隊を命じた。更に田中大将が到着し全員前に訓示午後4時頃、隊員トラック乗り駅へ向かい列車寄居戻った。この事件影響で午前6時頃から午後3時頃までの約9時間にわたって関東地方一帯ラジオ放送停波した。

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投降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 02:39 UTC 版)

ハウデーゲン作戦」の記事における「投降」の解説

1945年5月8日、ハウデーゲン観測所トロムソから敗戦通知されると共に爆薬機密文書処分、および暗号化解除した気象情報引き続き送信するように命じられた。しかし、以後通信途絶し観測隊誰かが受信することを願って気象情報送信範囲広げた。それでも応答する者はなく、最終的に連合国軍救難チャンネルへの送信開始した。これを受け、ノルウェー当局依頼によりアザラシ漁船派遣されることとなったこれ以前にも連合国側ではハウデーゲン観測隊収容試みていたが、秘密部隊として扱われ関連文書敗戦時に処分されていたため、観測所正確な位置把握できていなかった。 1945年9月4日ノルウェーアザラシ漁船ブラーセル(Blaasel)がハウデーゲン観測所近くに到着した。ブラーセルの船長ルズヴィ・アルベルトセン(Ludwig Albertsen)は、戦前のスピッツベルゲン島遠征同行したことがあり、同じ遠征参加したデーゲとはそれ以来友人同士だった。デーゲはアルベルトセンを観測隊員らに紹介しノルウェー船員らも招いた宴会催された。この最中、アルベルトセンがデーゲに対してそういえば、君はまだ投降していないね」と切り出したデーゲ降伏意を示すために拳銃差し出したところ、アルベルトセンは「こいつを土産にしてもいいかね?」と尋ねたという。島を離れた隊員らはノルウェーにて戦争捕虜として収容され数ヶ月後に帰国果たした。ハウデーゲン観測隊は、第二次世界大戦において最後に投降したドイツ国防軍部隊とされている

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投降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 04:08 UTC 版)

ニフティ・パッケージ作戦」の記事における「投降」の解説

10日間にわたる戦意喪失作戦の後、ラボアは、正門にいる米軍兵士に投降する以外の選択肢は無いことをノリエガ告げた後にタイム誌は、ラボアはノリエガに対して完全に誠実だったわけではなく世界中のどこの国も彼の避難許可与えようとしないという偽りノリエガ伝えていたことを記しているまた、ラボアはアメリカ陸軍に対して、もし彼の生命危険に脅かされていると考えるならば所有地攻撃する許可を与えるという内容の手紙を書いている。最終的にラボアは、もしノリエガアメリカ投降しない場合は、ローマ教皇庁スタッフ大使館建物から退去しカトリック高校移動し、そこを新たな大使館宣言すること、そしてノリエガ廃墟置き去りとなり、彼はバチカン庇護無しにアメリカ立ち向かわなくてはならなくなることを伝えたノリエガキューバ大使館逃避していた彼の妻と3人娘たち電話をかける許可求め、もし彼が投降した場合彼女たちドミニカ共和国亡命できること保証得た1月3日ノリエガ大使館聖堂でのミサ参加し聖体拝領受けたミサでラボアはキリストと共に磔にされ最期の時に悔い改めたディスマスについて説教をし、それを聞いたノリエガ目に涙を浮かべた報道された。 ミサの後、ノリエガ部屋戻り2通の手紙書いた1通は妻に宛て、「私は今、冒険の旅に出る」と伝えた。もう1通ローマ教皇感謝を伝える手紙で、自分無実であることを信じており、常にパナマ国民利益最優先にして行動してきたことを強調し教皇祈り求めたノリエガ褐色制服着用し大使館聖書携行する許可を受け、3人司祭と共に屋外に出て闇夜の中50先の正門まで一緒に歩いた正門に着くと米軍空挺兵のスコット・ガイスト軍曹意気消沈したノリエガ突進しその他の大勢兵士飛びかか地面押し倒し彼の身体検査開始したノリエガ手首後ろ手テープ巻かれ待機していた米軍ヘリコプター押し込まれハワード空軍基地に連行された。 後にモンシニョール・ラボアは、ノリエガを「出し抜いて米軍に投降させたことを誇り思っており、「心理戦では私の方が上手だ」と報道語った

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投降

出典:『Wiktionary』 (2021/08/14 08:47 UTC 版)

名詞

とうこう

  1. 降参すること。

発音(?)

と↗ーこー

動詞

活用

サ行変格活用
投降-する

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