日本の降伏文書とは? わかりやすく解説

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日本の降伏文書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 03:36 UTC 版)

日本の降伏文書(にほんのこうふくぶんしょ)は、1945年昭和20年)9月2日日本連合国との間で交わされた休戦協定(停戦協定)[1]の名称。この協定により日本の降伏が確認され、ポツダム宣言の受諾は外交文書上確定された。


注釈

  1. ^ 横浜事件の判決言い渡しは調印前だったため、戦犯政治犯を作り出した罪で)訴追を恐れた当局側によって公判記録が全部焼却処分され、現存しない。関係者は判決文謄本を証拠として再審請求せざるを得なかった。ポツダム宣言受諾と降伏決定が国民に告示された8月15日が降伏した日ではない。
  2. ^ "… the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander of the Allied powers … "の部分は、ポツダム宣言に係わるバーンズ回答と同一である(Reply to Japan's First Surrender Offer)。 この subject to は「従属する」の意であるが、外務省は双方とも「制限ノ下ニ置カルルモノトス」と訳している。ポツダム宣言#発表後の反応も参照。

出典

  1. ^ 小堀桂一郎 編『東京裁判 日本の弁明 「却下未提出弁護側資料」抜粋』講談社学術文庫、1995年8月。ISBN 4-06-159189-4 新版・ちくま学芸文庫、2011年(平成23年)8月
  2. ^ a b c d e f g 外交史料 Q&A 昭和戦後期 外務省、2018年6月1日閲覧。
  3. ^ a b 増田弘『マッカーサー』、P.319、中公新書、2009年
  4. ^ a b 国際放送の80年 1946-1951 NHKワールド、2018年6月1日閲覧。
  5. ^ 当時者として多くの回想記を著した。
  6. ^ 戦後70年企画「降伏文書」「指令第一号」原本特別展示降伏と占領開始を告げる二つの文書 外務省外交史料館 2015年8月31日
  7. ^ 『官報』号外、昭和20年9月2日、p.1
  8. ^ 紙の手技 笹気出版編 2003年 13-14頁。


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