ジョナサン・ウェインライトとは? わかりやすく解説

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ジョナサン・ウェインライト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/17 04:30 UTC 版)

ジョナサン・ウェインライト
Jonathan Wainwright
生誕 (1883-08-23) 1883年8月23日
アメリカ合衆国
ワシントン州 ワラワラ郡 ワラワラ
死没 (1953-09-02) 1953年9月2日(70歳没)
アメリカ合衆国
テキサス州 サンアントニオ
所属組織  アメリカ陸軍
軍歴 1906-1947年
最終階級 大将 (general)
署名
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ジョナサン・メイヒュー・"スキニー"・ウェインライト4世 (Jonathan Mayhew "Skinny" Wainwright IV, 1883年8月23日 - 1953年9月2日)は、アメリカ合衆国陸軍軍人。最終階級は大将(General)。第二次世界大戦における名誉勲章受章者の1人。

経歴

1883年ワシントン州ワラワラの陸軍駐屯地フォート・ワラワラにて生を受ける。父ロバート・パウエル・ページ・ウェインライト英語版は騎兵将校として米西戦争などに従軍していたが、1902年にフィリピンで戦死した。

1906年、高校卒業後に陸軍士官学校に進み、父と同じ騎兵将校の道を選ぶ。

第一次世界大戦中の1918年2月からフランス戦線へ派遣され、第82歩兵師団の参謀長補などを務めた。終戦後は1920年まで占領軍の一員としてドイツに駐留した。

1942年フィリピンの戦いではアメリカ極東陸軍(米比軍)に属し、ダグラス・マッカーサー大将を補佐し、バターン半島とコレヒドール要塞に立てこもり指揮を執った。 同年3月、マッカーサー大将がフィリピンを脱出してからは米比軍を指揮した。5月、コレヒドール要塞が陥落して日本軍に降伏、捕虜として満州に移送された。 1945年9月2日、旗艦ミズーリ艦上で行われた降伏調印式に出席した[1]

1945年9月5日、日本の降伏直後に彼は大将に昇進した。1946年1月にウェインライトはテキサス州フォート・サム・ヒューストンの第4軍の指揮官に着任する。ウェインライトは1947年8月に退役した。

ウェインライトはアーリントン国立墓地の第1セクションに埋葬される。彼は記念劇場で葬儀が行われた数少ない人物の内の一人である。

アラスカ州のフォート・ウェインライトは彼に因んで命名された。

脚注

  1. ^ 日置英剛『年表 太平洋戦争全史(重光葵『重光葵手記』からの引用)』国書刊行会、2005年10月31日、756頁。ISBN 978-4-336-04719-9 

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