降伏文書調印式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 03:24 UTC 版)
「ミズーリ (戦艦)」の記事における「降伏文書調印式」の解説
イギリス海軍太平洋艦隊司令官ブルース・フレーザー海軍大将は8月16日に乗艦し、ハルゼーに大英帝国勲章を授与した。8月21日に東京に上陸する占領部隊のため200名の士官及び兵士をアイオワに移乗させた。その後8月29日に降伏調印式準備のため東京湾に入った。 大日本帝国政府および大日本帝国陸軍・大日本帝国海軍の降伏文書調印式は、9月2日に東京湾(中の瀬水道中央部千葉県よりの海域)に停泊中の本艦甲板上で行われ、アメリカ合衆国・イギリス・フランス・オランダ・中華民国・カナダ・ソビエト連邦・オーストラリア・ニュージーランドが調印して、日本の降伏を受け入れた。 全ての連合国軍高官がミズーリに乗艦した。チェスター・ニミッツ海軍元帥は8:00直後に乗艦した。連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー陸軍元帥は8:43に乗艦し、日本側全権代表団は8:56に到着した。アメリカ海軍では、乗艦している最先任の海軍将官の将旗のみをメインマストに掲げると規定されているが、降伏調印式では、マッカーサーの要求で例外的に、海軍元帥の将旗だけでなく、陸軍元帥の将旗も掲げられた。 日本側代表団は、大日本帝国政府全権外務大臣重光葵、大本営全権参謀総長梅津美治郎陸軍大将、随員は終戦連絡中央事務局長官岡崎勝男、参謀本部第一部長宮崎周一陸軍中将、軍令部第一部長富岡定俊海軍少将(軍令部総長豊田副武海軍大将は出席拒否)、大本営陸軍部参謀永井八津次陸軍少将、海軍省出仕横山一郎海軍少将、大本営海軍部参謀柴勝男海軍大佐、大本営陸軍部参謀杉田一次陸軍大佐、内閣情報局第三部長加瀬俊一、終戦連絡中央事務局第三部長太田三郎であった。日本側全権代表団のうち陸海軍人達は、ミズーリへ向かう船上で自ら軍刀を外していた。 9:02にマッカーサー元帥がマイクの前に進み、降伏調印式は23分間にわたって世界中に放送された。式中甲板は2枚の星条旗で飾られた。1枚は真珠湾攻撃時にホワイトハウスに飾られていた物(48州の星が描かれた星条旗)、もう1枚は1853年の黒船来航で東京湾に現れたマシュー・ペリーの艦隊が掲げていた物(31州の星が描かれた星条旗)である。 マッカーサー元帥は5本のペン(PARKERデュオフォールドとウォーターマン)を取り出して交代で文書に調印し、コレヒドール島で自分に代わって極東陸軍の指揮をとるも降伏したジョナサン・ウェインライト陸軍中将(フィリピンの戦い)、シンガポールで降伏したアーサー・パーシバル陸軍中将(マレー作戦・シンガポールの戦い)、ウェストポイントのアメリカ陸軍士官学校、アナポリスの海軍兵学校にそれぞれ1本ずつ贈り、1本は妻のジェーンに残したという話は有名である。 「日本の降伏文書」も参照 なお、9:25の調印式終了とともにアメリカ海軍機の編隊と陸軍航空軍のB-29爆撃機が祝賀飛行を行ったが、そのとき甲板ではカナダ代表が署名する欄を間違えたことによる4ヶ国代表の署名欄にずれが見つかり、正式文書として通用しないとして降伏文書の訂正がなされていた。 具体的には、連合国用と日本用の2通の文書のうち、日本用文書にカナダ代表のエル・コスグレーブ大佐が署名する際、自国の署名欄ではなく1段飛ばしたフランス代表団の欄に署名した。しかし、次の代表であるフランスのフィリップ・ルクレール大将はこれに気づかずオランダ代表の欄に署名、続くオランダのコンラート・ヘルフリッヒ大将は間違いには気づいたものの、マッカーサー元帥の指示に従い渋々ニュージーランド代表の欄に署名した。最後の署名となるニュージーランドのレナード・イシット少将もアメリカ側の指示に従い欄外に署名することとなり、結果的にカナダ代表の欄が空欄となった。 その後、マッカーサー元帥の調印式終了宣言が行われ、各国代表は祝賀会の為に船室に移動したが、オランダ代表のヘルフリッヒ大将はその場に残り、日本側代表団の岡崎勝男に署名の間違いを指摘した。岡崎が困惑する中、マッカーサー元帥の参謀長リチャード・サザーランド中将は日本側に降伏文書をこのまま受け入れるよう説得したが、「不備な文書では枢密院の条約審議を通らない」と重光がこれを拒否したため、岡崎はサザーランド中将に各国代表の署名し直しを求めた。しかし、各国代表はすでに祝賀会の最中だとしてこれを拒否。結局、マッカーサー元帥の代理としてサザーランド中将が間違った4カ国の署名欄を訂正することとなった。日本側代表団はこれを受け入れ、9:30に退艦した。 9月5日の午後、ハルゼー提督は旗艦をサウスダコタに移し、翌日早朝東京湾を出航した。途中グアム島で乗客を乗せ、続いて随行艦なしでハワイの真珠湾に9月20日到着した。9月28日の午後にはニミッツ提督の提督旗を掲揚した。 調印式の撮影は海兵隊の従軍写真家だったデビッド・ダグラス・ダンカンが行った。 調印するダグラス・マッカーサー陸軍元帥 調印する政府全権重光葵 調印する大本営全権梅津美治郎陸軍大将 祝賀飛行する米軍機編隊 祝賀飛行中のB-29から撮影されたミズーリ。左舷側はフレッチャー級駆逐艦ニコラスまたはテイラー 退艦する日本側全権代表団
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