降伏文書の批准
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 08:59 UTC 版)
「欧州戦線における終戦 (第二次世界大戦)」の記事における「降伏文書の批准」の解説
5月8日、ベルリン市内のカルルスホルスト(ドイツ語版、英語版)におかれた赤軍司令部(国防軍の工兵学校兵舎を利用した)に、カイテル元帥らドイツ代表が到着した。調印式は同日正午すぎに予定されていたが、夜半までずれ込んだ。これは調印文書をロシア語に訳するのに時間がかかったという技術的理由があったからという説と、連合軍側証人として参加する予定だったフランス代表のジャン・ド・ラトル・ド・タシニ大将が、正式代表として調印に参加する事を要求したためであったという説がある。後者の説では、証人の署名欄を代表のすぐ下にして準代表としての形を整える事でラトル・ド・タシニも承諾したとされる。 停戦時間を過ぎた午後11時から、赤軍のゲオルギー・ジューコフ元帥とテッダー元帥、そして国防軍のカイテル元帥が降伏文書に調印した。連合軍側証人としてはラトル・ド・タシニ大将のほか、アメリカ陸軍航空軍のカール・スパーツ大将が副署している。調印時間はベルリン時間5月9日午前0時15分、西ヨーロッパ夏時間では5月8日午後11時15分、モスクワ夏時間では5月9日午前2時15分であった。ロシアをはじめウクライナ、ベラルーシなど旧ソ連諸国では5月9日が対独戦勝記念日となっている。(詳細は戦勝記念日 (5月9日)(ロシア語版、英語版)を参照)。
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