元帥夫人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/08 03:42 UTC 版)
「ジーン・マッカーサー」の記事における「元帥夫人」の解説
1944年12月18日、マッカーサーは元帥に任じられ、ジーンも「元帥夫人」となった。1945年3月に安全を取り戻しつつあったマニラに呼ばれ、再びマッカーサーとの生活を始めた。やがて1945年8月15日に日本が降伏し、マッカーサーは8月30日に厚木飛行場に到着、9月2日に降伏文書調印式を行って占領統治を開始する。 マッカーサーの日本での最初の宿舎は横浜のホテルニューグランドであったが、ここは前述の1937年にジーンと式を挙げ、フィリピンに戻る際に宿泊したホテルでもあった。その後、C・マイヤー邸を経て9月8日にアメリカ大使館に移り、1951年4月に解任・帰国されるまでの間、アメリカ大使館がマッカーサー邸となった。大使館と邸宅が「同居」していると、こんなこともあった。9月27日にアメリカ大使館で行われたマッカーサーと昭和天皇の会見を、ジーンはマッカーサーの副官とともにカーテンに隠れて盗み聞きしていた。 1950年にジーンと面会したジャーナリストのジョン・ガンサーによれば、ジーンはマッカーサーを「元帥」あるいは「ゼネラル」と呼び、マッカーサーはジーンに夢中で、一方のジーンはマッカーサーを神のように尊敬している。社交というものにとんと興味を示さないマッカーサーに代わって社交面を取り仕切り、それでいて自ら威張るそぶりや特別扱いを要求することは一切せず、周囲から賞賛されていたという。この点はブリスベン滞在時代とはほとんど変わらなかった。また、日本滞在中には生け花の展覧会に出席するなど、ガンサーが回想するように社交面で活躍した。 1951年4月16日に日本を離れたのち、マッカーサーとジーンは初めてアメリカでの結婚生活を送ることとなった。そして1964年4月5日、マッカーサーは84歳で亡くなり、結婚生活はおよそ27年で終止符を打った。27年のうち前半の14年はフィリピン、オーストラリア、日本での生活であったが、上述のようにオーストラリアにいた時期は、マッカーサーは最高司令官として戦線を飛び回っていた。
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