降伏と武装解除
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:46 UTC 版)
日本の降伏が告知されたものの、依然として陸海軍は内外に展開しており、東久邇宮内閣の第一の仕事は連合国の要求する「日本軍の武装解除」であった。なお、東久邇宮内閣の最重要の課題は「無血進駐」だったが、ダグラス・マッカーサー率いる連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)から、一発でも発砲されれば連合国軍は「武力進駐に切り替える」と通達されていた。この目的のため、東久邇宮は旧日本領や戦争による一時占領地に皇族を勅使として派遣し、現地師団の説得に当たらせている。 また、連合国による占領統治の開始が滞りなく開始されるように、受け入れ準備に万全を期すことも重要な任務としてこれを達成した。玉音放送が行われて18日後の9月2日には東京湾沖のミズーリ号上で日本軍ならびに日本国政府全権代表により日本の降伏文書に調印がされ(日本の降伏)、正式に太平洋戦争(大東亜戦争)は終結した。
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