戦間期とは? わかりやすく解説

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せんかん‐き【戦間期】

読み方:せんかんき

1918年第一次大戦終結から、1939年第二次大戦勃発までの約20年の期間。


戦間期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/08/24 00:25 UTC 版)

戦間期(せんかんき、: interbellum: interwar period)は、第一次世界大戦終結から第二次世界大戦勃発まで、つまり、基本的には1919年から(ただし第一次世界大戦が休戦となった1918年11月11日からとする場合もある)1939年までの約20年間の時代である。両大戦間期大戦間期ともいう。

世界史全体に関わるが、特にヨーロッパ史において重要である。

戦間期のヨーロッパは、多少の例外や時間の前後はあるものの、ともに似通った危機と似通った安定を経験した。第一次世界大戦で深刻な被害を受けた地域がヨーロッパに限られたこともあって、戦間期という区切りはヨーロッパにおいて最も大きな意義を持つ。

ヨーロッパ

1918年11月11日に第一次世界大戦は休戦(このため11月11日は世界平和記念日とされる日付の一つ)となった。イギリス軍の毒ガス攻撃で負傷したアドルフ・ヒトラーパーゼヴァルクの病院で休戦のことを知った。

1919年1月18日パリ講和会議が開かれ、同年6月28日ベルサイユ条約が結ばれた。ドイツはすべての植民地と領土の一部を失い、多額の賠償金を課せられた。これによりドイツはすぐに不況が到来、物価も高騰して、パン一個1兆マルクほどまでにはね上がり、マルクは紙切れ同然になった。一番多く戦後問題を抱えていたドイツでは1919年8月11日ワイマール憲法が制定され、当時世界で一番民主的な国だと言われるまでになった。

1920年1月10日にパリ講和会議で設置が決まった国際連盟が発足、ジュネーヴに本部を置き、42か国が加盟した。敗戦国のドイツと戦線を途中で離脱したロシアの加盟は認められなかった。ドイツの加盟が認められるのは1926年9月8日のことである。ロシアではロシア革命に続くロシア内戦の後、1922年12月30日に世界最初の社会主義国家・ソビエト社会主義共和国連邦が成立した。

1919年の第一次大戦終結から1924年頃までは、戦後危機の時代である。この時期に敗戦国の経済は混乱し、戦勝国も戦争で受けた打撃から立ち直れずにいた。小さな戦争や軍事介入が頻発し、特に敗戦国で革命勢力と反革命勢力の激しい戦争が続いた。

1924年頃から1929年は、相対的安定期と呼ばれる。この時代に各国の経済はカルテルにより合理化をとげ、人々の生活にゆとりが生まれ、大衆文化が登場した。例外はあるものの、民主主義体制が優勢で、程度の差こそあれ議会政治が重んじられた。各国の協調外交のおかげでヨーロッパに平和が訪れた。

1929年から1939年までは、大恐慌ファシズムの台頭に見舞われた危機の時代である。この時代の前半は倒産と大量失業で経済と生活がどん底に落ち込み、イギリスやフランスでは自国産業の保護の為ブロック経済体制が取られた。

ドイツは第一次世界大戦の多額の賠償金のこともあり大恐慌の影響が世界一深刻で、失業者はピーク時には約600万人に及んだ。1933年1月30日にヒトラーが首相になり、ワイマール憲法は事実上消滅した。現在ではすっかり悪名高いヒトラーだがこの時代には多くの政策を推し進めたことにより失業者を約50万人ほどまでに減少させることに成功している。舛添要一は若いころに西ドイツに行ってミュンヘンで「ヒトラーの時代が一番よかった」と言う人に会ったことがあると語っている。

新興の民主主義体制は次々に覆され、ファシズム体制か類似の権威主義体制に取って代わられた。後半には経済の下落に歯止めがかかったが、真の経済回復は訪れなかった。末期にはナチス政権下のドイツと、ファシスト党政権下のイタリアが近隣諸国を軍事力で脅かし、軍事的緊張が昂進した。

アメリカ

アメリカは国際連盟に加盟しなかったことで国際社会に不安の影を残した。しかしアメリカ国内では第一次世界大戦終結後に移民が急増、移民局があったマンハッタンを中心にアメリカ全体が活気づいた。国土が大戦の被害を受けなかったこともあり「狂騒の20年代」と呼ばれた好景気の時代であった。1920年代にはマンハッタンの高層ビル群も建設ラッシュを迎えた。

ところが、1929年10月24日ウォール街の株価大暴落(ブラックサーズデー)が起こり、その大不況は世界へ広がり世界恐慌へとつながっていった。1930年代には、失業率が25%に達する状態であり、失業対策としてフランクリン・ルーズベルト政権は「ニューディール政策」を実行した。

日本

日本では、第一次世界大戦時は国土が大戦の被害を受けなかったこともあり、船や衣類などの分野での成金が現れた(暗がりで紙幣を燃やして「どうだ、明るくなったろう」と述べる風刺画は有名)。大戦景気の時代で、政治的にも大正デモクラシーに代表される自由闊達で民主的な空気が溢れていた時代であり、後の高度経済成長期からバブル景気にかけてと通じる時代であった。

1919年には3月1日朝鮮三・一独立運動5月4日中国五・四運動などの反日運動が起き国際問題を抱えることになった。さらに中国では1925年3月12日初代総統親日家孫文が亡くなり国際問題はより深刻となった。

1920年になると株価が下落して戦後恐慌が始まり、1921年11月4日原敬首相暗殺事件1923年9月1日関東大震災など国内でも深刻な問題が多発した。1927年には金融機関の破綻が相次ぐ金融恐慌1930年代初頭は世界恐慌の影響で「娘の身売り」や「大学は出たけれど」のことばで知られる昭和恐慌の時代であった。政治的にも1925年治安維持法の制定を契機として大正デモクラシーの自由で民主的な空気は成りを潜め、1931年満州事変が勃発し年を追うごとに軍国主義全体主義への傾斜を強めていった。1933年3月27日には満洲国に対する国際連盟の否決を不服として国際連盟を脱退して国際社会から孤立した。

なお、上述のように日本においては第一次世界大戦が景気や社会に与えた影響は限定的であったため、日本の歴史においては「戦間期」の文言はあまり用いず、「第二次世界大戦以前」という意味で、一括りに「戦前」と呼ばれることが一般的である。

条約・会議

脚注

  1. アメリカの要望に応じて0.025割(約6,000トン)を削ることで、対英米6.975割とした。

参考文献

  • 林健太郎 『両大戦間の世界』、講談社〈講談社学術文庫〉、1976年。

関連項目


戦間期(1919年-1939年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 02:39 UTC 版)

20世紀のフランス」の記事における「戦間期(1919年-1939年)」の解説

詳細は「フランス第三共和政」を参照 1920年トゥール議会フランス社会党(SFIO)二つ分裂し多数派分かれてフランス共産党Section française de l'internationale communiste)を結成したレオン・ブルム率いる残る少数派は、「古い家を保ち」、SFIOに留まった。1924年1932年に再び社会党は「左翼連合英語版)」の中で急進党合体したが、実際に急進派エドゥアール・エリオエドゥアール・ダラディエ率い非社会政権参加することを拒否したダラディエ1934年2月6日の危機後で極右連盟圧力辞任し保守派ガストン・ドゥメルグ議会の代表任命された。左翼ドイツ1922年ローマ進軍などの事件と共に起きたものとして右翼クーデター恐れていた。従ってコミンテルン影響下で共産党路線変更し反ファシスト連合」を採用し人民戦線1936年-1938年)を導き1936年選挙に勝ちブルムフランス最初社会主義者首相とした。共産党参加しないまま支援する一方で社会党参加せず第一次世界大戦前急進党政権支援したのと同じ手法で)、人民戦線急進党社会党成り立っていた。しかし1年レオン・ブルム政権経済政策ブルジョワジー有名な200家族」)の反対スペイン内戦問題巡って崩壊したブルムスペイン共和党支援することが多く一般的な欧州戦争促進するかも知れない判断しアドルフ・ヒトラーベニート・ムッソリーニ恥も外聞もなく武装する一方でこの決定フランス左翼からの大量転向者を生み出しフランシスコ・フランコ軍を支援した)。 フランス極右は、大い拡大し民族反ユダヤ主義考えが、多く地域急増したファシスト連盟同様に数多極右や反議院内閣者の連盟が、フランソワ・ド・ラロッククロア・ド・フー1927年-1936年)を含めて誕生し大きな競争相手のように君主制主義アクション・フランセーズが(1898年創立され1926年ピウス11世から非難されアクション・フランセーズ国家宗教として君主制ローマカトリック再生支援した)、国民的な統合主義社会器官調和英語版)とする信念)を唱導し、政府転覆することを望みながらスタヴィスキー事件1934年)への反応として大衆的示威行為組織した1934年2月6日の危機参照)。 1920年代フランス復活するドイツ増強補填する精巧な国境防衛体制マジノ線)や同盟を(小協商参照創設し1930年代戦争による大損失がチェコスロヴァキアに関するドイツとの戦争防止になる思う大衆受けした宥和政策選択したフランス多く発生することになり、フランスとの同盟が、1938年ミュンヘン会談価値がなかったことを証明したフランス1920年英語版)も参照

※この「戦間期(1919年-1939年)」の解説は、「20世紀のフランス」の解説の一部です。
「戦間期(1919年-1939年)」を含む「20世紀のフランス」の記事については、「20世紀のフランス」の概要を参照ください。

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