戦間期1848-1860
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「ジョサイア・タットノール」の記事における「戦間期1848-1860」の解説
1848年および1849年には陸に上がり、ボストン海軍工廠に勤務した。1850年2月5日、大佐に昇進すると共に、翌月にはサラナック (USS Saranac) の艦長となった。続いて、1851年7月から1854年6月まで、ペンサコーラ海軍工廠に勤務する。1854年8月から1855年11月まで、太平洋艦隊司令官ウィリアム・マービン(英語版)代将の旗艦、インディペンデンス (USS Independence) 艦長を務めた。香港において、タットノールはジェームス・アームストロング代将に代わり東インド艦隊の指揮をとり、将旗をサンジャシント (USS San Jacinto) に掲げた。2年間の極東勤務の間に、タットノールはアメリカの中立を破り、英軍およびフランス軍を支援するためにミシシッピ、ポーハタンを指揮して海河河口から大沽砲台を攻撃した。彼はこの行動に対し、 "Blood is thicker than water"「血は水よりも濃い」と述べ、後に有名なスローガンとなった。
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