戦間期から第二次大戦期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 04:23 UTC 版)
「アレスティング・ワイヤー」の記事における「戦間期から第二次大戦期」の解説
1920年代には、原点である「ペンシルベニア」での実験的着艦で用いられていたような横索式が再び注目されるようになっていた。1924年、アメリカ海軍は、カール・ノルデンとT・H・バースが開発したMk.1および2制動装置を採用したが、これは縦索式とともに、ロールブレーキを用いた横索式を併用したものであった。その後も縦索式の欠点が改められなかったことから、1929年には縦索式の廃止を決定し、油圧式横索のMk.3が装備化された。これは最大速力52ノット、重量2.7トンの機体を制動する能力を備えていた。 1927年に竣工したフランス海軍の「ベアルン」は、早くもロールブレーキを用いた横索式の制動装置を備えていた。これは好評であり、1930年には日本海軍もこれを購入し、「フェー式」と称して「加賀」に設置した。また日本国内でも、艦政本部から委託を受けた萱場資郎(KYB創業者)が油圧式横索の制動装置を開発しており、「萱場式」として、同年に「赤城」に設置された。更に1933年には、呉海軍工廠が開発した電磁ブレーキ式の装置が「呉式1型」として制式化された。1938年には改良型の「呉式4型」が完成したが、これは最大速力58ノット、重量4トンの機体を制動する能力を備えていた。太平洋戦争開戦時の日本空母は、全て制動装置として呉式4型を備えており、大型の「赤城」「加賀」などでは制動索12基、小型の「龍驤」では6基を備えていた。 一方、イギリス海軍は、アメリカ海軍と同時期に縦索式に見切りをつけたが、アメリカ海軍と異なり直ちに横索式に移行することはなく、しばらく制動装置なしで航空母艦を運用していた。その後、1938年に「アーク・ロイヤル」が就役する際に、アメリカ海軍と同様の油圧式8索の横索式制動装置を装備した。アメリカ海軍では、「ヨークタウン」で重量4.5トン・速度113キロメートル毎時の機体を制動可能なMk.4を装備化し、「ホーネット」で装備化された改良型のMk.4 mod.3Aでは重量7.26トン・速度137キロメートル毎時まで制動可能なようにアップデートされた。これらのMk.4後期型は第二次世界大戦中のアメリカ空母の標準装備となり、後のmod.5・6では重量8.98トン・速度103キロメートル毎時となった。そして終戦までに、エセックス級のうち7隻には、重量13.6トン・速度145キロメートル毎時まで制動可能なMk.5が搭載され、戦後にはその他のエセックス級にも設置された。そしてフォレスタル級より、更に強化されたMk.7が採用された。 なおアメリカ海兵隊は、空母用のMk.5 mod.2をもとに、地上用に改訂したM-2 MOREST(Mobile arresting gear)を装備化した。これは短時間で移設可能なように設計されており、前線近くに設営されるSATO(Small Airfield for Tactical Support)の構成要素として構想されていた。ベトナム戦争時にSATOとして設営されたチュライ飛行場 (Chu Lai Air Base) では、当初は作戦機をMORESTにより着陸させてJATOにより離陸させる運用が行われており、また後にカタパルトも設置されて、舗装滑走路が完成するまでは、陸上ながらCATOBAR運用が行われた。 フェアリーIII-F型の着艦(1930年代) メディアを再生する F/A-18の着艦(2009年) チュライ飛行場のMORESTを用いたA-4の着陸
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