戦間期、1818年-1845年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 14:24 UTC 版)
「ジョサイア・タットノール」の記事における「戦間期、1818年-1845年」の解説
1818年4月1日タットノールは大尉に昇進し、6月30日にフリゲートのマケドニアン (USS Macedonian) 勤務を命ぜられ、11月には太平洋に向かって出港した。1820年8月30日にマケドニアンを降り、米国に戻っている。1822年12月26日には、スクーナー、ジャッカル勤務となり、デヴィッド・ポーター(英語版)代将の艦隊に加わった。タットノールは西インドを舞台とし、1823年5月4日まで海賊の鎮圧に従事した。1824年6月23日に、タットノールは地中海でのコンスティチューション勤務を命ぜられた。1826年3月にはブランディワイン (USS Brandywine) に乗り換え、5月に帰国した。5月15日、6ヶ月の休暇を与えられ、その後休暇は1828年まで延長された。 1828年10月から1829年8月にかけて、タットノールはエリー (USS Erie) に乗艦する。1830年3月まではトートゥガス諸島の調査を行った。1831年4月15日、タットノール大尉はスクーナー、グランパス (USS Grampus) の艦長となり、西インド及びメキシコ湾への航海を行った。1832年8月、タットノールは米国の船から略奪した荷物を積んだメキシコのスクーナーを公海上で拿捕している。1832年9月にはグランパスを降りたが、次の命令が下ったのはおよそ4年後であった。1836年7月、トーマス・アプ・ケイツビー・ジョーンズ(英語版)大佐の探検航海の一員となった。 1836年2月25日、タットノールは中佐に昇進し、4月から3年間ボストン海軍工廠に勤務した。
※この「戦間期、1818年-1845年」の解説は、「ジョサイア・タットノール」の解説の一部です。
「戦間期、1818年-1845年」を含む「ジョサイア・タットノール」の記事については、「ジョサイア・タットノール」の概要を参照ください。
- 戦間期、1818年-1845年のページへのリンク