200家族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 08:53 UTC 版)
創立以降、株主総会への出席者は出資額の上位200人だけに許された。そしていわゆる200家族に支配された。フランス銀行は統計上4万名の株主がいたが、大株主は彼ら家族であった。彼らのうち84人が各自100株以上を保有していた。ロチルド、マレMallet、オタンゲルHottinguer、ヴァンデルWendel(フランス鉄鋼委員会の主催者だけでなく、ドイツ帝国議会議員のアンリも同家の人材である。)、法人株主は有名どころでモエ・エ・シャンドンしか例に出せないが、50から100株保有するものでは保険会社が17社もあった。200家族は毎年の株主総会で15人の理事を選んだが、常連はロスチャイルド、マレ、ミラボーMirabaud などであった。当初15名の理事のうち5名は、製造・加工業者・商業者から選ばれると明確に規定された。5席はヴァンデル、デュシュマン、ローヌ・プーラン、タナルドン、そしてパペトリ・ダルブレィのパトロンが占めた。枠外ではスエズ運河会社のヴォギュエも理事となった。 彼ら200家族の個人銀行を特にオートバンクHaut Banque と呼ぶ。第二帝政以降は足跡のたどれない者が多くなり、結果として少数の生き残りがヘゲモニーを形成したので、よく分からない過程の部分は大不況に淘汰されたものと考えられている。1945年12月2日の立法はグラス・スティーガル法のような側面をもっており、3種の事業形態を法定した。そこでオートバンクは3種から選ばなければならなくなった。ユグノー系オートバンクは大部分が預金銀行になることを選んだ。ユダヤ系のものは興業銀行となったが、中にはロスチャイルドやラザード、それにドレフュス等がふくまれていた。 1945年12月法はオートバンクの事業分離だけでなく、フランス銀行の国有化を決定した。理事会は、総裁と2名の副総裁と12名の理事のほか、2名の監査役で構成されている。総裁・副総裁は総理大臣により任命される。理事のうちまず4名は、不動産銀行・預金供託金庫・復興金融金庫・クレディアグリコルの理事長または総裁が職権により任命される。次に7名は、商業・工業・農業・労働・海外領土・外国におけるフランスの権益、一般経済団体をそれぞれ代表する者が、関係大臣の推薦に基づき大蔵大臣によって任命される。そして残りの1名は、フランス銀行職員のうちから無記名投票により選任される。監査役は大蔵省高官から選任される。 復興金融金庫=クレディ・ナショナルは、第一次世界大戦の戦後復興を目的として1919年に創設された準公的金融機関である。債券を発行して資金を調達し戦災被災地等に復興向けの融資をおこなっていた。第二次世界大戦後は米ドルで受け取った借款の見返り資金の運用も委託された。1995年12月に政府がフランス貿易銀行の民営化を決めた。フランス貿易銀行の株主は、フランス銀行(26.65%)、預金供託金庫(24.65%)、クレディ・ナショナル(15.77%)であった。1996年にクレディ・ナショナルはフランス貿易銀行の全株式を取得、1997年1月にクレディ・ナショナルはナトゥクシスに社名を変更、ナトゥクシスは2006年、預金供託金庫傘下のイクシスと合併し、ナティクシスとなった。ナティクシスは年金積立金管理運用独立行政法人の運用委託先となったり、最近ではブロックチェーンの共同開発にも参画したりしている。
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