ヴァンデルのクルーゾ
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「シュナイダーエレクトリック」の記事における「ヴァンデルのクルーゾ」の解説
1836年、ドイツ系フランス人のシュネデール(シュナイダー)兄弟はル・クルーゾの製鉄所クルーゾ鋳造所 (Creusot Foundries) を買収して再生し、2年後シュナイダー社 (Schneider & Cie.) を創立した。 クルーゾは1784年200家族のヴァンデル(Famille de Wendel)がつくった。クルーゾは交錯した国際関係の産物である。往時フランスはアメリカ独立戦争で植民地軍を支援し英国と交戦しており、性能が高い武器を切望していた。そこで、産業革命を主導しアイアン・マッドの二つ名を手にしたジョン・ウィルキンソン(John Wilkinson)の弟、ウィリアムがフランス政府の要請でアンドル島に王立火砲鋳造工場を建てた。この工場へ原料を供給するため、クルーゾが設立された。このとき着工されたサントル運河は1792年に開通した。以後、運河はクルーゾのホームグラウンドに利用された。ロワール川とソーヌ川の間を船で往来できるようになり、地中海と大西洋の間にミディ運河よりずっと長い内陸水運が拓かれた。開削途中のフランス革命でヴァンデルがドイツへ追放されていた。クルーゾは経営者を次々と変えたが、やがてイギリスのマンビー・ウィルソン社(Manby Wilson & Co.)が買収した。1830年代の不況でマンビーが破産しクルーゾは競売にかけられ、1836年12月21日シュナイダー兄弟が268万フランで落札した。この資力がどこから来たかであるが、シュナイダー兄弟は2ヶ月前200家族セイエール(Famille Seillière)が設立した合資会社の支配人であった。
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