ヴァンデグリフトジャケット
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「アイゼンハワージャケット」の記事における「ヴァンデグリフトジャケット」の解説
1943年初頭、ガダルカナル島攻略を終えたアメリカ海兵隊第1海兵師団は、休養のためオーストラリアのメルボルンへと移動した。そして秋が近づくにつれて海兵隊員用のコートなど冬季用装備の不足が問題になり始めた頃、多くのオーストラリア兵がサハラ方面へと派遣されたため余剰品として残されていたオーストラリア軍の戦闘服が代用品として大量に調達されたのである。これはアイゼンハワージャケットのモデルでもあるイギリス製1937年式戦闘服とほぼ同型で、海兵隊員らは師団長アレクサンダー・ヴァンデグリフト将軍の名を取ってヴァンデグリフトジャケット(Vandegrift Jacket)と通称したが、後には陸軍と同様にアイゼンハワージャケットやアイクジャケットとも呼ばれた。着用時には冬用コートの規則に従って徽章等が取り付けられた。1944年5月、海兵隊総司令官からオーストラリア製ジャケットを原型としたウール製短ジャケットを将校向け冬用コートとして正式に採用する方針が発表される。兵下士官用にも翌年10月に採用する予定とされたが、多くの兵士はそれを待たずに各自でサービスコートを切り詰める改造を施したり、毛布を利用してジャケットを作るなどした。少なくとも1人の海兵隊員は、捕虜となった日本軍将校の制服を改造したジャケットを着用していた。将校には同年12月のうちに短ジャケットの着用が認められたが、兵下士官に対し認められたのは1945年8月21日になってからだった。改良を重ねつつ長らく使用されていたが、1968年に廃止が宣言され、以後は通常のサービスコートが着用されるようになった。
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