オランダ総合銀行
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「ABNアムロ銀行」の記事における「オランダ総合銀行」の解説
1964年オランダ貿易会社は、一世紀の歴史をもつ農林金庫(Twentsche Bank)との経営統合に合意し、両社はオランダ総合銀行(ABN)となった。エンスヘデの起業家による農林金庫は1841年に銀行業をスタートし、オランダ国内トウェンテ地方の繊維産業を主要な顧客とした。1858年にロンドン支店を設けた。ロンドンから綿花をエンスヘデに送り、アムステルダムへ輸出した。某イギリス系銀行を買収したのをきっかけに、1875年から1884年までパリで外為取引所を運営した。1890年代ヴェストファーレンに子会社をつくり、エンスヘデに酷似する経済成長を実現した。1907年恐慌の前後十年ほどの間に夥しい地銀株を取得し拡大した。1917年に会社形態がLLCとなった。世界恐慌で株を保有してあった地銀が傘下へなだれこんだ。 1967年ABNは、国立労働銀行・ドレスナー銀行・BNP・バークレイズ・バンカメと合弁でルクセンブルクに欧州金融会社(Société Financière Européenne)を設立した。1972年、ABN・バークレイズ・ブリュッセル銀行・ドイツ信用抵当銀行(Bayerische Hypotheken- und Wechsel-Bank, 現ウニクレディト)が中心となり欧州銀行連合(ABECOR)を結成し、アメリカ系オフショアファンドを同連合で経営した。1973年には国際銀行間通信協会の設立にも参加した。1975年、ABNがBank Mees & Hope を買収した。この銀行は1966年にホープ商会と経営統合した。ホープ商会は19世紀に専ら米露の鉄道へ投資をしていた。元々オランダ東インド会社を経営する貿易商社であったが、20世紀に投資業へ軸足を移した。ホープ商会はベアリングス銀行その他ドイツの個人銀行らとベスマンバンク のコンソーシアムに参加していた。ベスマンバンクはロスチャイルドをライバルとした1748年創業の御用銀行家であり、マリア・テレジアやピウス6世 (ローマ教皇)、アレクサンドル1世などを顧客とした。 1979年、シカゴ第六位の規模であったラサール国立銀行(LaSalle National Bank)を買収した。1980年4月、ABNはヌフリーズ・シュルンベルジェ・マレ(Neuflize Schlumberger Mallet)の大半を買収した。この銀行は200家族であるヌフリーズとマレがつくった。双方とも1889年インドシナ銀行のコルレスバンクとなった。
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