200両か2000両か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 04:24 UTC 版)
「イラワジ会戦」の記事における「200両か2000両か」の解説
メイクテーラに突進する英印軍機甲部隊について、第1線部隊は2000の車両が進撃中との報告を行った。これに基づき、第15軍はイラワジ河方面は守勢に転じ、メイクテーラ方面に対処するべきとの意見具申を方面軍に打電した。ところが、方面軍参謀部には200両という電文がもたらされていたことによって英印機甲部隊を過小評価し、作戦上重大な齟齬をもたらした。 戦史叢書によれば、第15軍の酒井参謀は方面軍に電文を送ったさい2000両と明記して送ったと主張し、方面軍の河野情報参謀は方面軍電報班が独断で200と判断して参謀部に届けたのではないかとの意見を収録している。陸戦史集は、原因は明らかでないとしつつも、方面軍司令部電報班長をこなしていたこともある古賀俊次少佐(イラワジ戦時は第49師団参謀)の意見を載せている。曰く「電報における数字の取り扱いは特に慎重を期し、数字の暗号のほか数字略号の暗号も重複するようにしていた。したがって200と2000とを誤るようなことは、絶対にありえない」と。 (元歩兵第215連隊将校)磯部卓男やビルマ方面軍後方参謀だった後勝は次の見解を示している。それによれば、方面軍情報課が電文を2000両から200両に書き換えたというのである。方面軍電報班員で第15軍からの暗号電文を実際に翻訳した穴原隆治上等兵はこう回想している。「当時の暗号は、数字のような間違えやすい文字は、本文の数字のほかに符号によって二重に送信し、間違いを防ぐ方法が取られていた。たとえば、二〇〇〇という数字の次には、”フタ、マル、マル、マル”と送られていたから、この両方を付き合わせ、両方とも一致すれば間違いないというわけで、私は自信をもって二〇〇〇と翻訳した」。穴原上等兵が2000両と書いた電文を河野情報参謀に渡すと、河野参謀は「2000は200の誤りではないか」として穴原上等兵と押し問答となったすえ、ついに200両と書き直させられたというのである。これに関し、磯部卓男は電文から故意に零を一つ消したのは田中参謀長か門松情報課長の意向があったのではないかとも推察している。
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