フランスの赤い銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 08:30 UTC 版)
ネップ初期の1922年、ロシア商業銀行が設立された。これは株式会社であり、ゴスバンクと外資が参加した。外債の誘致と貿易為替業務が目的であったが、実態は個人との外貨取引等、貿易外取引に関わる金融しか行わなかった。貿易金融はゴスバンクが担っていた。1923年から翌年にかけて、ソ連政府がロシア商業銀行株のスウェーデン保有分をいくらか買収し、ロシア商業銀行を新設の外国貿易銀行(Vneshtorgbank)に編成した。これがVTBの原点となる。 当時ソ連政府の対外経済政策は露亜銀行がメインであったが、ほどなく清算されてしまう。 1925年、ソ連政府がパリの北欧商業銀行(Banque Commerciale pour l'Europe du Nord – Eurobank)を買収した。この銀行は資本金が全てソ連によっており(ゴスバンクと外国貿易銀行)、経営も自己資金だけで行われた。北欧商業銀行の取締役にはディミトリ(Dimitri Navachine)がいた。彼はロスチャイルドと古くから姻戚のヴォルム(Banque Worms)に通じる銀行家であった。1937年に反共ファシスト団体(La Cagoule)を組織してすぐ、200家族ヴァンデルらの鉄鋼団(Comité des Forges)が所有するビルを爆破した。 世界恐慌やペタン政権下で北欧商業銀行がどうしていたかは、よく分かっていない。
※この「フランスの赤い銀行」の解説は、「VTB」の解説の一部です。
「フランスの赤い銀行」を含む「VTB」の記事については、「VTB」の概要を参照ください。
- フランスの赤い銀行のページへのリンク