フランスの軍事的準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 11:27 UTC 版)
第三次対仏大同盟の結成前に、ナポレオンはイギリスへの侵攻軍を編成し、北フランスのブローニュに6つの野営地を設けた。この侵攻軍がイギリスに上陸することはなかったが、ナポレオンの軍はあらゆる可能性に備えて、軍事的な作戦の訓練を行っていた。侵攻軍の間では早くも訓練に退屈する気配はあったが、ナポレオンは何度も出向いて豪華なパレードを行う事で、士気を維持していた。 ブローニュで編成された軍は後にナポレオンに大陸軍と呼ばれるようになった。まず、フランス軍は200,000人の兵を7個軍団に編成した。1軍団あたり、36から40門のカノン砲を保有しており、それぞれの軍団は独立して作戦を行う事ができた。ナポレオンは22,000人の騎兵予備から胸甲騎兵2個師団、乗馬竜騎兵4個師団を創設し、下馬竜騎兵と軽騎兵2個師団を編成し、それぞれ24門の野砲を装備した。1805年までに大陸軍は350,000人にまで拡大した。下士官から元帥に至るまでの全ての階級でフランス革命戦争以来、経験を積んだ優秀な将校を保有していた。
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