日葡修好通商条約
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日葡修好通商条約 | |
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署名 | 1860年8月3日 (万延元年6月17日) |
署名場所 | 日本 江戸 |
現況 | ? |
失効 | ? |
締約国 | ![]() ![]() |
日葡修好通商条約(にっぽしゅうこうつうしょうじょうやく、ポルトガル語: Tratado de Paz, Amizade e Commercio, entre Sua Magestade El Rei de Portugal e Sua Magestade o Imperador do Japão、英語: Treaty of Peace, Amity and Commerce between Portugal and Japan)は、1860年8月3日(万延元年6月17日)に江戸において日本とポルトガルとの間で締結された条約。これにより両国間の外交関係が樹立され通商が開始された。
経緯
日本とポルトガルの関係は、1543年にポルトガル人を乗せた船が日本の種子島に漂着し、鉄砲を伝えたことにより始まった(鉄砲伝来)。両国間では南蛮貿易が発展し、16世紀中頃から17世紀初頭にかけて貿易関係は継続した。しかし、江戸幕府の下で鎖国体制が徐々に敷かれる中、1639年に幕府がポルトガル船の来航禁止を命じて以来、日本とポルトガルとの間の国交・貿易関係は事実上断絶していた[1]。
しかし、1854年に日本がアメリカとの間で日米和親条約を締結して開国を余儀なくされ、1858年に各国との間で修好通商条約を締結した(安政5ヶ国条約)こともあり、ポルトガルとの間でも新たな関係を結ぶことが必要となった。1860年にポルトガルとの間に修好通商条約を締結し、日本にとって米・蘭・露・英・仏に次ぐ6ヶ国目の修好通商条約となった[2]。
脚注
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