日葡修好通商条約とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 日葡修好通商条約の意味・解説 

日葡修好通商条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/04 12:59 UTC 版)

日葡修好通商条約
署名 1860年8月3日
万延元年6月17日)
署名場所 日本 江戸
現況
失効
締約国 日本
ポルトガル
テンプレートを表示

日葡修好通商条約(にっぽしゅうこうつうしょうじょうやく、ポルトガル語: Tratado de Paz, Amizade e Commercio, entre Sua Magestade El Rei de Portugal e Sua Magestade o Imperador do Japão、英語: Treaty of Peace, Amity and Commerce between Portugal and Japan)は、1860年8月3日万延元年6月17日)に江戸において日本ポルトガルとの間で締結された条約。これにより両国間の外交関係が樹立され通商が開始された。

経緯

日本とポルトガルの関係は、1543年にポルトガル人を乗せた船が日本の種子島に漂着し、鉄砲を伝えたことにより始まった(鉄砲伝来)。両国間では南蛮貿易が発展し、16世紀中頃から17世紀初頭にかけて貿易関係は継続した。しかし、江戸幕府の下で鎖国体制が徐々に敷かれる中、1639年に幕府がポルトガル船の来航禁止を命じて以来、日本とポルトガルとの間の国交・貿易関係は事実上断絶していた[1]

しかし、1854年に日本がアメリカとの間で日米和親条約を締結して開国を余儀なくされ、1858年に各国との間で修好通商条約を締結した(安政5ヶ国条約)こともあり、ポルトガルとの間でも新たな関係を結ぶことが必要となった。1860年にポルトガルとの間に修好通商条約を締結し、日本にとってに次ぐ6ヶ国目の修好通商条約となった[2]

脚注

  1. ^ 南蛮貿易”. 世界史の窓. 2025年9月4日閲覧。
  2. ^ 日・葡修好通商条約”. 在ポルトガル日本国大使館. 2025年9月4日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  日葡修好通商条約のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日葡修好通商条約」の関連用語

日葡修好通商条約のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日葡修好通商条約のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの日葡修好通商条約 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS