ビアク島の戦いとは? わかりやすく解説

ビアク島の戦い

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ビアク島の戦い(ビアクとうのたたかい, Battle of Biak, 1944年5月27日 - 8月20日[1])は、太平洋戦争中のニューギニア戦線における戦闘の1つ。


  1. ^ アメリカ軍のビアク島作戦終了の発表日
  2. ^ 戦死後、陸軍中将に二階級特進
  3. ^ 戦史叢書 豪北方面陸軍作戦 pp.573-575
  4. ^ 戦史叢書 豪北方面陸軍作戦 p.581
  5. ^ 戦死後、一階級進級し海軍中将
  6. ^ 戦史叢書 豪北方面陸軍作戦 p.583
  7. ^ 戦史叢書 豪北方面陸軍作戦 p.634
  8. ^ 戦史叢書 南西方面海軍作戦—第二段作戦以降 p.416
  9. ^ The Approach to the Philippines, p.577
  10. ^ The Approach to the Philippines, p.392


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ビアク島の戦い

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ニューギニアの戦い」の記事における「ビアク島の戦い」の解説

詳細は「ビアク島の戦い」を参照 ビアク島ニューギニア西部ヘルビング湾(現在のセンデラワシ湾)で最大の島である。石灰岩質の広く平坦な飛行場適地有し日本軍から見ればフィリピンから東部ニューギニア前線へ至る飛行経路に、連合軍から見ればパラオフィリピン南部爆撃圏に収める位置にあった日本軍1943年12月に第36師団歩兵222連隊基幹とするビアク支隊支隊長:葛目直幸大佐)が島に上陸し、モクメル飛行場の建設を進ていた。 日本軍ではさらに北支から第35師団ビアク島転用し玉突き歩兵222連隊ニューギニア本島移動させる計画であったが、第35師団竹一船団による輸送途上潜水艦攻撃受けて大損害を被りニューギニア島西端ソロンまでしか到達できなかった。最終的にビアク島配置できた兵力は、陸軍1万1,267名、海軍1,947名を数えたが、飛行場設営隊海上輸送隊、開拓勤務隊が多数占め戦闘部隊歩兵222連隊の3,815名を中心に海軍陸戦隊加えても4,500名に過ぎなかった。 1944年5月27日アメリカ軍41歩兵師団(1個連隊欠)がビアク島の上作戦開始した5月28日から29日にかけてアメリカ軍飛行場向けて前進し日本軍九五式軽戦車9両が出撃して、M4中戦車との間で戦車戦生起した。日本軍戦車大半失ったが、アメリカ軍も逆包囲される危機に陥り後退した飛行場占領予定大幅に遅れたアメリカ軍は第34歩兵連隊追加投入するとともに、第41歩兵師団長ホレース・ヒュラー少将解任され第1軍団アイケルバーガー中将直接作戦指揮取った第2方面軍第35師団の第221連隊の1個大隊マノクワリ在)等をビアク島増援したが、大本営ビアク島守備隊善戦見て本格的増援として海上機動第2旅団旅団長玉田美郎少将)を送り込む渾作戦立案した6月2日第一次6月8日第二次作戦誤判断空襲により失敗した連合艦隊司令部ビアク島周辺水上部隊撃破しない限り渾作戦は無理と判断、「大和」「武蔵」以下の戦力整え第三次作戦試みたが、6月11日アメリカ機動部隊マリアナ諸島来襲したためビアク島どころではなくなり作戦中止となったビアク島では司令部置かれていた西洞窟が1か月抵抗の末に6月27日についに陥落支隊長も7月2日自決した残存各部隊ジャングル逃げ込み分散自活しアメリカ軍8月20日ビアク作戦終結発表した日本軍戦後生還者520名で、アメリカ軍戦死者471名、戦傷者2,443であった

※この「ビアク島の戦い」の解説は、「ニューギニアの戦い」の解説の一部です。
「ビアク島の戦い」を含む「ニューギニアの戦い」の記事については、「ニューギニアの戦い」の概要を参照ください。

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