アメリカ軍師団長更迭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/09 05:53 UTC 版)
「ビアク島の戦い」の記事における「アメリカ軍師団長更迭」の解説
渾作戦は失敗したが、ビアク島はニューギニア本島のマノクワリから舟艇で到達できる距離にあり、兵員や糧食弾薬が細々とではあるが送り続けられた。6月中旬までに、ヌンホル島に配備されていた葛目連隊の第5中隊、歩兵第219連隊第2大隊、歩兵第221連隊第2大隊がビアク島北部のコリム海岸に到着し、入れ替わりで沼田中将はメナドの第2方面軍司令部へ帰還した。 アメリカ軍の飛行場占領の予定は大幅に遅れていた。マッカーサー大将はサイパン上陸を行うニミッツ軍を支援する責任から、面子にかけて第6軍司令官クルーガー中将を督励し、クルーガー中将はまた第41歩兵師団長ヒューラー少将を督励していた。だがヒューラー少将は日本軍の増援の動きを見てさらに1個連隊の増援要請を送った。クルーガー中将はホーランジアにあった第24歩兵師団第34歩兵連隊をビアク島へ増派するとともに、ヒューラー少将を弱腰と判断して更迭を決断、代わって第1軍団長アイケルバーガー中将をビアク島攻略部隊の総指揮官に任命した。 アイケルバーガー中将は6月15日にビアク島へ飛来、第34歩兵連隊戦闘団も18日にボスネックへ上陸した。アイケルバーガー中将は部隊配置を一新し、4個連隊の兵力をもって日本軍が篭る東西の洞窟に対して朝から夜まで間断のない猛攻撃を加えた。
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