ビアク‐とう〔‐タウ〕【ビアク島】
ビアク島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/13 06:29 UTC 版)

ビアク島(ビアクとう、インドネシア語: Pulau Biak)はインドネシア、パプア州北部のチェンデラワシ湾、ニューギニアの北西部に位置する小島。ビアク島はビアク諸島の一部で、最大の島である。
島で最大の人口密集地は南部海岸に位置するビアク市である。他は人口密度の低い小村が多い。
歴史
第二次世界大戦中には日本軍の航空基地が存在した。ビアク島の戦いの後、アメリカ軍が島を占領した。占領された航空基地は「モクメル飛行場」と改名され、その後オーストラリア空軍に移管された。
1996年の地震と津波で大きな被害を出した。
1998年7月6日、インドネシア軍による島民の大量虐殺事件が発生した。
人口動態
ビアク島の住民は大多数がメラネシア人で、宗教的にはキリスト教徒である。公用語はインドネシア語だが、ビアク語も広く用いられる。オランダ語や英語の使用もみられるが、これは限定的である。人口は11万2873人(2010年国勢調査)[1]。
気候
インドネシア・ビアク島 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ビアク島の気候は、年間を通してほぼ同一の気温である熱帯雨林気候である。市内の年間平均気温は27度であり、それは一般的に毎日の平均気温と同じである。 市内は、年間を通しての毎月の降水量が年間降水量およそ2,850mmを平均したちょうど良い量であることがわかり、10月と11月は、月平均の降水量200mmを若干下回る最も乾燥する月である。
インドネシア・ビアク島の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | 29 (84) |
28 (82) |
29 (84) |
29 (84) |
29 (84) |
29 (84) |
28 (82) |
29 (84) |
29 (84) |
29 (84) |
29 (84) |
30 (86) |
29 (84) |
平均最低気温 °C (°F) | 25 (77) |
25 (77) |
25 (77) |
25 (77) |
25 (77) |
25 (77) |
25 (77) |
25 (77) |
25 (77) |
25 (77) |
25 (77) |
25 (77) |
25 (77) |
降水量 mm (inch) | 250 (9.84) |
240 (9.45) |
250 (9.84) |
200 (7.87) |
250 (9.84) |
230 (9.06) |
250 (9.84) |
240 (9.45) |
220 (8.66) |
180 (7.09) |
190 (7.48) |
230 (9.06) |
2,840 (111.81) |
出典:https://www.weatherbase.com/weather/weather.php3?s=6579&refer=&units=metric |
脚注
外部リンク
ビアク島
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「ウィリアム・フェクテラー」の記事における「ビアク島」の解説
「ビアク島の戦い」も参照 1944年1月18日、フェクテラーは少将に昇進。トーマス・C・キンケイド中将(アナポリス1908年組)率いる第7艦隊のスタッフとして加えられ、第77任務部隊(第8上陸支援部隊)司令官となった。第7艦隊はダグラス・マッカーサー陸軍大将の南西太平洋軍の陸上部隊とともにニューギニア島北岸沿いを西進しており、4月下旬にはホーランジアを制圧して(ホーランジアの戦い)ワクデ島も手中に収め、次なる目標はビアク島となった。守る日本軍の方針がぶれていた間隙を突き、フェクテラー率いる第77任務部隊に輸送された第41歩兵師団(英語版)(ホレース・ヒュラー(英語版)陸軍少将)は5月27日早朝、ビアク島南岸ボスネック海岸に上陸を開始する。第77任務部隊は7.5ノットの低速力であったが日本軍に全く見つからず、上陸は全くの奇襲となった。フェクテラーはオーストラリア海軍のヴィクター・クラッチレー(英語版)少将率いる第77.2任務群およびラッセル・S・バーキー(英語版)少将率いる第77.3任務群とともに火力支援に任じた。 5月27日午後、フェクテラーの旗艦である駆逐艦「サンプソン(英語版)」 (USS Sampson, DD-394) は依然としてボスネック海岸で火力支援を行っていたが、その時、超低空で4機の日本機が部隊に突入してきた。4機のうち2機は撃墜され、残る2機のうち1機は被弾して退散、最後の1機はフェクテラーが乗る「サンプソン」めがけて突入してきたが被弾の影響でわずかに外れ、駆潜艇SC-699に命中して爆発し、損傷を与えた。フェクテラーは無事であった。この攻撃は、日本陸軍飛行第五戦隊長高田勝重少佐率いる4機の「屠龍」によるもので、後刻「特攻のさきがけ」として「駆逐艦2隻撃沈、2隻大破」の戦果を挙げたと喧伝された。フェクテラーは第77任務部隊とともにモロタイ、レイテおよびリンガエンと馳せ参じ、1945年3月までその職にあった。
※この「ビアク島」の解説は、「ウィリアム・フェクテラー」の解説の一部です。
「ビアク島」を含む「ウィリアム・フェクテラー」の記事については、「ウィリアム・フェクテラー」の概要を参照ください。
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