渾作戦とは? わかりやすく解説

渾作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/03 17:22 UTC 版)

渾作戦(こんさくせん)とは、太平洋戦争中の日本軍の作戦。ビアク島の戦いを支援するための作戦で、3次にわたり行われた。






「渾作戦」の続きの解説一覧

渾作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/09 05:53 UTC 版)

ビアク島の戦い」の記事における「渾作戦」の解説

詳細は「渾作戦」を参照 連合艦隊ビアク島支隊善戦見て渾作戦を発令した6月2日海上機動第2旅団乗せた輸送船団と、左近允尚正少将率い戦艦扶桑」、重巡妙高」「羽黒」「青葉」を基幹とする「渾部隊」がダバオから出撃した。ニューギニア方面では連合軍洋上兵力トーマス・C・キンケイド中将率い第7艦隊重巡オーストラリア」、軽巡ボイシ」「フェニックス」・「ナッシュビル基幹)しかなく、戦力日本軍の方が優勢であった。だが日本軍果敢に出撃してきたキンケイド艦隊空母機動部隊誤認し、渾部隊ニューギニア島ソロンへの退避命じる。 左近少将快速駆逐艦による輸送の方が成功可能性が高いと判断、渾部隊のうち駆逐艦6隻に海上機動第2旅団将兵一部載せて6月8日ソロン出発した。だがアメリカ軍機の空襲により駆逐艦春雨」が沈没、他の艦は午後10時ビアク島近海まで到達したが、キンケイド艦隊遭遇したため脱出余儀なくされた(ビアク島海戦)。こうして第二次作戦失敗終わった連合艦隊ではキンケイド艦隊撃破しない限り渾作戦は無理と判断6月10日戦艦大和」「武蔵」以下の戦力ハルマヘラ島集結させ第三次作戦発令した。だが翌11日アメリカ機動部隊マリアナ諸島来襲したとの報が伝わりビアク島どころではなくなり渾作戦は中止となった

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渾作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 04:56 UTC 版)

春雨 (白露型駆逐艦)」の記事における「渾作戦」の解説

詳細は「渾作戦」を参照 5月下旬、「あ号作戦発動について発表が行われた。1943年以降各地分散していた第27駆逐隊定数4隻体制作戦参加することになった予想される日米機動部隊決戦において、同隊は第二航空戦隊空母隼鷹飛鷹龍鳳)を護衛したのち、米艦隊水上戦闘を挑む計画であったという。だが5月27日アメリカ軍ビアク島上陸開始したにともない第27駆逐隊急遽渾作戦に投入されることになった本作戦はビアク島への友軍支援と、アメリカ軍対す陽動作戦(囮作戦)という二つ側面持っていた。 第一次渾作戦時の艦隊は、第16戦隊司令官左近允尚正少将総指揮官として、戦艦扶桑第五戦隊重巡洋艦羽黒妙高)、第16戦隊(重巡洋艦青葉軽巡洋艦鬼怒、第19駆逐隊敷波浦波》)、第10駆逐隊風雲朝雲)、第27駆逐隊春雨五月雨白露時雨)、敷設艦津軽厳島、第127輸送艦、第36号駆潜艇、第37駆潜艇という戦力である。6月2日3日とも)、艦隊ミンダナオ島ダバオ出発しビアク島へ向かう。翌3日豊田副武連合艦隊司令長官より渾作戦一時中止命令出されるアメリカ軍機動部隊出現偵察報告があった為であるが、その報告誤認であった6月4日豊田GF長官より「渾作戦を再び実施せよ」との命令下される第一次渾作戦参加艦艇から扶桑青葉津軽等が除外され参加艦・駆逐艦6隻、人員600名、6月8日ビアク島上陸予定という作戦方針通達される第27駆逐隊ソロン立ち寄ったのち、青葉鬼怒分離6月8日午前3時陸軍部隊載せた駆逐艦6隻(敷波浦波春雨時雨白露五月雨)はソロン出発し、再びビアク島向かった輸送隊輸送隊警戒隊に分割されており、第19駆逐隊敷波浦波)及び時雨輸送隊第27駆逐隊3隻(春雨司令駆逐艦》、白露五月雨)が警戒隊に任命されていた。 6月8日12時20分、第19駆逐隊第27駆逐隊アメリカ陸軍B-25爆撃機P-38戦闘機襲撃受けた輸送隊3隻の前方五月雨左側白露右側春雨配置されていたとされる時雨白露五月雨損傷軽微であった。だが、春雨被弾して沈没時雨の記録では12時32分、五月雨記録では12時42分のこととなっている。第27駆逐隊司令白浜七大佐も戦死したアメリカ軍機が去った後、五月雨白露救助向かい時雨警戒をおこなう。五月雨内火艇降ろし士官4名、下士官兵79名を救助した。なお、第二次渾作戦部隊春雨沈没後もビアク島への輸送作戦継続するが、夜になりアメリカ軍巡洋艦部隊迎撃されて撤退ビアク島への輸送失敗したハルマヘラ諸島パジアンに帰投後、白露救助されていた春雨乗組員五月雨移乗しアンボン基地向かい白露時雨合流すべくダバオ向かった一連の戦闘で約50名が戦死した8月10日春雨白露型駆逐艦第27駆逐隊帝国駆逐艦籍より除籍された。

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