1944年 ニューギニア戦線とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 1944年 ニューギニア戦線の意味・解説 

1944年 ニューギニア戦線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 10:19 UTC 版)

ボイシ (軽巡洋艦)」の記事における「1944年 ニューギニア戦線」の解説

1944年1月から9月までのボイシは、主にニューギニア島北部海岸沿いで、南西太平洋連合軍総司令官ダグラス・マッカーサー大将作戦参加したこの方面で活動していたアメリカ海軍は、マッカーサー大将指揮下で行動する第7艦隊トーマス・C・キンケイド中将であった本艦は、姉妹艦フェニックス (USS Phoenix, CL-46) やナッシュビル (USS Nashville, CL-43) などと共にニューギニアの戦い飛び石作戦)に従事する。その中にはマダンへの砲撃1月25日26日)、ホーランジアの戦いにともなうフンボルト湾上陸作戦支援4月22日)、ワクデ島砲撃4月29日30日)およびワクデ島上陸5月15日 - 25日)、ビアク島上陸5月25日 - 6月10日)、ヌムフォア島(英語版上陸7月1日2日)、サンサポア岬上陸7月27日 - 8月31日)、モロタイ島占領9月1日 - 30日)が含まれる詳細は「渾作戦」を参照 5月27日から始まったビアク島攻防戦で、ボイシサボ島沖海戦砲火を交え重巡青葉と同じ海域行動することになった連合軍ビアク来襲驚いた連合艦隊渾作戦発動し南方軍海上機動第二旅団海軍艦艇ビアク島強行輸送することになったミンダナオ島ダバオ集結した部隊指揮官第十六戦隊司令官左近允尚正少将で、青葉将旗掲げていた。渾部隊6月2日夕刻ダバオ出撃したが、B-24に触接されたり米軍機部隊ボイシなどの巡洋艦部隊誤認出現等の情報により、ビアク行は中止となった戦艦扶桑第五戦隊ダバオ引返し青葉など輸送隊のみニューギニア島西パプア州ソロン進出した6月4日5日には小数機の日本軍機が連合軍巡洋艦部隊巡洋艦4、駆逐艦14)を攻撃しナッシュビル至近弾で損傷した連合艦隊第二次渾作戦発動し左近少将青葉から駆逐艦敷波(第19駆逐隊)に旗艦変更した輸送部隊6隻(輸送隊敷波浦波時雨〉、警戒隊〈春雨白露五月雨〉)を率いて6月8日午前3時ソロン出撃したが、B-25空襲春雨沈没した日本軍輸送部隊尚もビアク島にむけて進撃続けたので、ボイシなど連合軍巡洋艦部隊夜戦迎え撃った重巡1、軽巡2、駆逐艦14隻を擁する連合軍側は圧倒的優勢だったので、渾部隊駆逐艦5)は直ち反転して逃走開始したボイシなど巡洋艦部隊は渾部隊追撃したが、戦果時雨小破させただけだった第二次渾作戦失敗すると、連合艦隊大和型戦艦渾作戦投入した第三次渾作戦部隊6月12日ハルマヘラ島バチャン泊地集結したボイシなど巡洋艦主戦力とする第七艦隊にとって、大和型戦艦大和、武蔵)の出現重大な脅威として受け止められた。だが6月13日サイパン島方面情勢急変した渾作戦中止され第三次渾作戦部隊主力北上してあ号作戦」に復帰した青葉を含む第十六戦隊シンガポール方面後退した

※この「1944年 ニューギニア戦線」の解説は、「ボイシ (軽巡洋艦)」の解説の一部です。
「1944年 ニューギニア戦線」を含む「ボイシ (軽巡洋艦)」の記事については、「ボイシ (軽巡洋艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1944年 ニューギニア戦線」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1944年 ニューギニア戦線」の関連用語

1944年 ニューギニア戦線のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1944年 ニューギニア戦線のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのボイシ (軽巡洋艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS