戦時中の人肉食
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 17:53 UTC 版)
太平洋戦争中の南洋戦線(インパール・ニューギニア・フィリピン・ガダルカナル)において、日本軍では兵站が慢性的に途絶したことで大規模な飢餓が頻繁に起こり、死者の肉を食べるという事態が各地で発生した。 グアム島では敗走中のある陸軍上等兵が逃避行を共にしていた日本人の民間人親子を殺害してその肉を食べるという事件が発生。事件の目撃者がアメリカ軍にこのことを密告したため、上等兵は戦犯として逮捕され、アメリカ軍により処刑された。1944年12月にニューギニア戦線の第18軍司令部は「友軍兵の屍肉を食すことを罰する」と布告し、これに反して餓死者を食べた4名が銃殺されたという。また、ミンダナオ島では1946年から1947年にかけて残留日本兵が現地人を捕食したとの証言があり、マニラ公文書館に記録されている。 なお、連合軍兵士に対する人肉食もあったとされるが、多くが飢餓による緊急避難を考慮され、戦犯として裁かれることはなかった。一方で、処刑したアメリカ軍捕虜の肉を酒宴に供したとされる小笠原事件(父島事件)では、関係者がBC級戦犯として処刑されている。罪状には人肉食は含まれず、捕虜殺害と死体損壊として審理された。ただし、当時現場に立ち会っており、この事件が弁護士活動の原点になったという、元日弁連会長の土屋公献は事件について証言し、人肉食の事実は無かったとして事件の内容について語気鋭く否定している。 1944年真冬の知床岬(ペキンノ鼻)では、難破した陸軍徴用船で「ひかりごけ事件」が発生した。食料が殆どない極限状態に置かれた船長が、死亡した船員の遺体を食べて生存した。武田泰淳の小説『ひかりごけ』や映画化作品で知られる。1945年には人肉を獣肉として他者にふるまったとの疑念が切っ掛けになったとされるチェルボン島抗日蜂起が発生した。
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