戦時中の公開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 12:00 UTC 版)
戦争画で玉砕をテーマとした絵画は『アッツ島玉砕』が初めてであった。藤田の妻、君代の証言によれば、完成した『アッツ島玉砕』を検分した陸軍担当者は絵の内容を疑問視して、「国民総力決戦美術展」の出品許可が得られるまで手間取ったという。戦時中『アッツ島玉砕』の内容について疑念を持ったのは陸軍ばかりではなかった。石井柏亭は『アッツ島玉砕』以降、多くの画家が描くようになった玉砕、死闘をモチーフとする絵画について、その内容に軍部が首をひねったと紹介した上で、このような絵画が士気の鼓舞や敵愾心を喚起し得るのか疑問を呈し、皇軍将兵の忠勇を感じるよりも悪寒を覚えさせる恐れがあると指摘し、遺族らに厭わしき連想を起こさせる恐れがあると主張した。 『アッツ島玉砕』のモチーフは日本軍の絶望的な状況下での死闘である。このような絵画は国民の士気を削ぐのではないかとの懸念はもっともであった。しかし公開された『アッツ島玉砕』は多くの観衆の共感を呼ぶ。前述のようにアッツ島守備隊員の玉砕後、守備隊員を称える報道が繰り返されていた。その最中に公開された『アッツ島玉砕』は、疑似的なものではあるが視覚的に玉砕場面を追体験する効果がもたらされたのである。 野見山暁治は「国民総力決戦美術展」会場で『アッツ島玉砕』の脇に作者の藤田が国民服姿で直立し、絵の前に置かれていた賽銭箱に賽銭が投じられるたびに深々とお辞儀していた姿を回想している。「国民総力決戦美術展」は好評により会期が3日間延長され、その後、北海道、東北地方を巡回する。これは玉砕したアッツ島守備隊員の大多数の故郷が北海道、東北であり、遺族らに観覧の機会を与えることを考慮したものと考えられている。札幌三越での展示は、アリューシャン方面の戦いを指揮した北部軍司令官樋口季一郎も見入り、「あの軍刀を突き出して叫んでおられるのが山崎部隊長ですか」「あゝこれはアッツ櫻だね」などと語った。『東奥日報』では忍び泣きながらいつまでも立ち去りがたく『アッツ島玉砕』を見続ける遺族の姿が報じられた。また絵を見た人々からは「憤激と敵撃滅の誓いを新たにした」「このかたき撃たんと奮起した」などの感想が寄せられた。 藤田自身も青森市で巡回展示された際、『アッツ島玉砕』を前に跪き、両手を合わせて祈っている観客や、画中の人物に賽銭を捧げ供養していた老人たちの姿を見たという。藤田は生まれて初めて自分の絵がこれほどまでに人々に感銘を与えたことに驚き、「この絵だけは、数多く描いた画の中の最も会心の作」との自負を持った。大衆に受け入れられる絵画を描くことを目標としていた藤田の願いは、このような形で叶えられた。また絵に賽銭を投じられたり、跪き祈りながら鑑賞している観客がいたということは、戦時中『アッツ島玉砕』は殉教を描いた宗教画のような扱いを受け、玉砕した兵士らの供養碑のような役割を果たしていたことを示している。
※この「戦時中の公開」の解説は、「アッツ島玉砕」の解説の一部です。
「戦時中の公開」を含む「アッツ島玉砕」の記事については、「アッツ島玉砕」の概要を参照ください。
- 戦時中の公開のページへのリンク