戦時中の動向とは? わかりやすく解説

戦時中の動向

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/16 23:11 UTC 版)

南海電7系電車」の記事における「戦時中の動向」の解説

1943年昭和18年)、堺東車庫発生した火災により、モハ1081形およびクハ1801形各3両が全焼したが、翌1944年から1945年にかけて、モハ1201形類似の18m級鋼製車体を新造して原番号復旧した。なお復旧に際しては、戦時中にもかかわらず2段上昇窓の戦前形車体復旧されている。 太平洋戦争末期1945年昭和20年)には、戦災によりモハ10191020およびモハ1082~1084・1089、およびクハ1802・1804が全焼し廃車されている。また火災復旧されたばかりの半鋼製車も、モハ1082とクハ1802が戦災遭って全焼し廃車されている。

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戦時中の動向

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 01:08 UTC 版)

東京大学総合図書館」の記事における「戦時中の動向」の解説

日中戦争以降は、図書館戦争影響を受けることになったいわゆる文科系学問軽視される風潮強まったため、文科系属す分野蔵書中心であった附属図書館の受入図書数は減少していった。また、職員徴兵相次いださらには戦時中資材欠乏のために学内建物新築が困難となったことから、新たに設置されることとなった東洋文化研究所附属図書館の東翼一部提供されることとなり、附属図書館として利用できるスペース減少することとなった屋上には陸軍によって高射砲設置検討されたこともあったが、これは大学要請によって阻止されている。陸軍では敗戦間近1945年になると、大学キャンパス全体を(上野公園一帯合わせて皇居を守る防衛線として使用するために接収するといった案すらも出されていたが、当時総長となっていた内田祥三交渉にあたり未遂終わっている。 大学接収計画されたように戦局著しく悪化し東京幾度も空襲の被害受けていた。このため学内各図書館図書室では図書疎開進められていた。附属図書館では、疎開先駆けて1944年4月21日には『和漢書疎開図書略目録』、『洋書疎開図書略目録』が作成された。疎開となったのは山梨県西八代郡市川大門町現在の同県郡市三郷町市川大門地区)の渡辺家土蔵である。同家蔵書家として知られ渡辺信旧家であり、渡辺信蔵書附属図書館震災後青洲文庫として購入していたという縁があった。すなわち附属図書館蔵書購入したことで空いていた倉を、附属図書館疎開のために利用することになったということである。疎開は2回に分けて行われ第1次1944年7月末から10月初めごろにかけて木箱詰めた図書308箱分を移動し第2次1945年6月中に50箱を移動している。いずれも市川大門駅まで日本通運貨車移送された。この際疎開されたのは貴重書22,917冊であり、内訳和漢書20,542冊、洋書2,375であった一方で多く図書本郷残されたが、上層部図書地下下ろす重複図書積み重ねて防壁代わりとするなどの工夫凝らされた。さらに、建物安全性見込まれ諸官庁から資料持ち込まれることもあった。また建物にも縄網によって迷彩施されるなどの工夫もされた。 これらの対策取られていたが、本郷キャンパス敗戦まで空襲の被害をほとんど受けなかった。1945年3月10日東京大空襲キャンパス南端にある懐徳館洋館和館焼失した程度である。これは、GHQ本郷キャンパス占領後拠点として使用するために爆撃標的から外したためであるという説がある。また、附属図書館史料編纂所書庫とともに米国作成されいわゆるウォーナー・リスト呼ばれる文化財リスト掲載され無印から3つまでの範囲重要度を表す「*」の印が2つ付されていて、(このことが即ち爆撃回避対象となったことを表すわけではないが)重要性ある程度認知されていたと見ることもできる。さらにこのリスト掲載され米国陸軍便覧では、附属図書館中国接収され図書所蔵していることに言及し、この資料群が中国返還されることを想定して注意を払うよう促す記述もあった。

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戦時中の動向

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/20 04:30 UTC 版)

工芸ニュース」の記事における「戦時中の動向」の解説

昭和18年10月第12巻第8号) - 昭和19年9月第13巻第7号)は、「工芸指導」(後期)と名称を改めた昭和19年10月より休刊し、昭和21年6月第14巻第1号)から復刊

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