戦時中の反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 05:20 UTC 版)
「モーゲンソー・プラン」の記事における「戦時中の反応」の解説
アメリカの著名なジャーナリスト・コラムニスト、ドリュー・ピアソンは1944年9月21日にこの計画を全米各地の新聞に配信されるコラムで暴露した。ただし彼自身はこの占領計画に好意的であった。『ニューヨーク・タイムズ』や『ウォールストリート・ジャーナル』は批判的な続報を行った。一方、ナチス・ドイツでは、ゲッベルス宣伝相が「ユダヤ人のモーゲンソー」がドイツを巨大なジャガイモ畑にしたがっている、と口をきわめて罵った。反米・反ユダヤや徹底抗戦のためのプロパガンダにモーゲンソー・プランは大々的に利用され、『フェルキッシャー・ベオバハター』紙は「ルーズベルトとチャーチルがユダヤによる殺人計画に合意!」と報じた。 これに対して『ワシントン・ポスト』も「ゲッベルスを助けるのはやめろ、この先完全破壊しか残されていないと考えればドイツは死に物狂いになる」と論じた。また共和党の大統領候補トマス・E・デューイも1944年秋の大統領選挙活動でこの計画がドイツを熱狂的な抵抗に追いつめると批判した。ジョージ・マーシャル将軍もドイツの抵抗を強めるだけだと不満を述べた。ルーズベルト大統領の義理の息子で陸軍省にいたジョン・ボーティガー中佐はモーゲンソーに、アメリカ軍がアーヘン攻略で5週間もドイツ軍の抵抗に遭ったことを説明し、「モーゲンソー・プランはドイツ軍に30個師団分の援軍をしたに等しい」と迫ったが、モーゲンソーは返事を拒んだ。またスイス駐在のOSS職員もルーズベルトに対しドイツの新聞の翻訳とともにいかに計画がプロパガンダに使われドイツの抵抗を強めているか報告した。 報道された「モーゲンソー・プラン」の内容に対し、世論は否定的な反応を示したため、ルーズベルト大統領は覚書の棚上げを言明せざるを得なかったが、大統領はドイツ占領のための他の計画がないことを認めた。
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