戦時中の収容所警備部隊SS髑髏大隊とは? わかりやすく解説

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戦時中の収容所警備部隊SS髑髏大隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 05:22 UTC 版)

親衛隊髑髏部隊」の記事における「戦時中の収容所警備部隊SS髑髏大隊」の解説

一方髑髏部隊がいなくなった後の強制収容所はどうなったといえば一般親衛隊予備隊、訓練不足の者、突撃隊隊員国防軍高齢者外国人ナチ協力者などで以って創設された「親衛隊髑髏大隊」(SS-Totenkopf-Sturmbann)によって警備されることとなった先の親衛隊髑髏部隊とは基本的に別物だが、「寛容弱さの印」といった冷酷なスローガンだけはしっかり受け継いだ前述したように戦前収容所ブロック指導者作業指導者髑髏部隊から充てられていたのだが、戦中にはこれらの役職収容所職員から出され髑髏大隊は各収容所警備担当する監視隊を出すだけになった監視塔の上から収容所監視したり、作業班に付いて行って監視歩哨をしたりするのが彼らの主な任務だった。1940年には強制収容所総監府(強制収容所職員)と髑髏大隊そろって右向き髑髏襟章使用することとなった髑髏大隊ははじめ一般親衛隊扱いだったが、1941年4月22日より強制収容所監督官府髑髏大隊そろって武装親衛隊扱いとなり、軍人に支給される給与支給帳(Soldbuch)と軍歴手帳(Wehrpaß)の所持認められた。 大戦中も次々と基幹強制収容所とその付属収容所創設され髑髏大隊人員足りなくなり外国人ナチ協力者がどんどん動員された。特にウクライナ人クロアチア人多かった戦争後期には監視兵がほとんど外国人になってしまったので、収容所内に存在した人種ヒエラルキーに基づき監視兵よりドイツ人囚人の方が重んじられるといった事態さえも発生していた。 なおアイケ髑髏師団師団長就任するとともに強制収容所監督官の役職辞したその後強制収容所監督官と髑髏大隊司令官の職は1939年11月から1940年8月までリヒャルト・グリュックス1940年8月から1942年3月16日にかけてアウグスト・ハイスマイヤーその後再びリヒャルト・グリュックス務めた親衛隊本部から親衛隊作戦本部(SS-FHA)が切り離される強制収容所監督官府作戦本部指揮下に移行した。ついで1942年3月16日以降にはオズヴァルト・ポール指揮する親衛隊経済管理本部(SS-WVHA)D局の傘下入ったリヒャルト・グリュックスは、WVHAのD局局長という立場移行する以降作戦本部髑髏警備大隊装備軍事上の取り締まり軍事訓練のみを担当した1944年5月には40歳上の国防軍予備役軍人1万人が武装SS転属の上髑髏大隊振り分けられている。戦争末期髑髏大隊の数はおよそ3万人ほどであった

※この「戦時中の収容所警備部隊SS髑髏大隊」の解説は、「親衛隊髑髏部隊」の解説の一部です。
「戦時中の収容所警備部隊SS髑髏大隊」を含む「親衛隊髑髏部隊」の記事については、「親衛隊髑髏部隊」の概要を参照ください。

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