戦時中の反共活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/17 14:36 UTC 版)
日中戦争(抗日戦争)勃発直前の1937年(民国26年)2月、第2次国共合作が成立する。しかし潘公展はこの時点に至ってもなお共産党への反感を隠さず、『中央日報』で引き続き攘外安内を訴える文章を掲載したため、共産党どころか国民党人士からまでも顰蹙を買ったとされる。その潘も、日中戦争勃発後は蒋介石を支えて抗日戦体制の確立に奔走することになる。11月、上海から武漢に逃れ、国民政府軍事委員会参事室参事に任ぜられた。翌年3月には、国民党中央宣伝部の機関紙発行部門である独立出版社の経理となる。また、同年には『領袖、政府、主義』という小冊子を著し、蒋の指導・独裁を正当化した。1939年(民国28年)、重慶に移り、党中央宣伝部副部長兼『中央日報』総主筆に任命されている。 戦時中も、潘公展の共産党への警戒感・反感は依然としてそのままであった。1941年(民国30年)1月に皖南事変が起きると、潘は『新華日報』に事件の報道を許さず、『中央日報』で新四軍を「軍紀違反」と糾弾した。1942年(民国31年)12月には、中央図書雑誌審査委員会主任委員となり、国民党系以外の書籍・雑誌への取締を実施している。その直前の11月には、党5期10中全会で中央執行委員会常務委員に選出された。
※この「戦時中の反共活動」の解説は、「潘公展」の解説の一部です。
「戦時中の反共活動」を含む「潘公展」の記事については、「潘公展」の概要を参照ください。
- 戦時中の反共活動のページへのリンク