否定的な反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/11/17 13:56 UTC 版)
民主共和党が支配する連邦議会は、ニューイングランドの提案する如何なるものも、その批准に向けて動こうとはしなかった。ハートフォード会議の代議員は、大統領と議会の民主共和党を困らせる意図であり、ニューイングランドと国の他の部分との交渉の基として機能させるつもりだった。 代議員の中にはニューイングランドがアメリカ合衆国の中から分離し、独立した共和国を結成することに賛成する者もいたが、会議の席でそのような決議案は採択されなかった。歴史家のサミュエル・エリオット・モリソンは、ハートフォード会議がニューイングランドを連邦から脱退させ、反逆を起こす者に援助を与え、イギリスを安心させる試みだったという説を否定した。モリソンは、「民主共和党の政治家達は、彼等自身が戦争の遂行にしくじったことについて、また依然として恐ろしい存在である連邦党の信用を落とすことについて、見せしめを求めており、厳粛な否定と証拠書類の双方を挑撥するように、この幼い神話を撫でさすって丈夫で活発なものになるまでにしていた。」と記した。 マサチューセッツ州は実際にこれらの問題を交渉させるためにワシントンD.C.に3人の代表を派遣した。彼等が2月に到着すると、アンドリュー・ジャクソン将軍がニューオーリンズでイギリス軍に対して決定的な勝利を収めたという報せが伝わり、さらにその前には米英戦争を終わらせるガン条約の調印がなされており、首都にマサチューセッツ州の代表がいることは滑稽でばかげて見えた。彼等は直ぐに帰郷した。その後、「ハートフォード会議」と「連邦党」は、特に南部では解体、脱退および裏切りの同義語になった。連邦党は壊滅し、完全に消失するまでの数年間は幾つかの地方レベルでのみ生き残っていただけだった。
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