戦争画とは? わかりやすく解説

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せんそう‐が〔センサウグワ〕【戦争画】

読み方:せんそうが

戦争主題とした絵画事実記録するためのもの、勝利場面英雄描いて宣伝とするもの、反戦意図をもって惨状を描くものなどがある。


戦争画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/08 21:25 UTC 版)

ワーテルローの戦い
デラウェア川を渡るワシントン』(エマヌエル・ロイツェ

戦争画(せんそうが)は、戦争を題材として描かれた戦争記録絵画ナポレオン戦争など、軍の宣伝や戦意高揚に利用された作品を指すことが多い。戦闘場面や戦士の出征や凱旋、戦時下の市民生活など戦争の諸場面が描かれた

有名なものに「平家物語絵巻」、宮本三郎の「山下パーシバル両司令官会見図」[1]ピカソの「ゲルニカ」、戦後のものでは丸木位里丸木俊の「原爆の図[2]沖縄戦の図」など。

分類

田中日佐夫の分類によると戦争画とは、次の4つに分類できるという。

  • 戦争自体、またその前後や個々の事物の情景を描いたもの
  • 題材となる戦争があった後の時代に描かれた「歴史画」ともいえるもの
  • 戦争につながる神話・伝説や象徴的事物を描いたもの
  • 戦争に対する画家個人の思いや考えを描いたもの

第二次大戦中の日本の戦争画

1937年日中戦争勃発後、1938年4月には「支那事変海軍従軍画家スケッチ展」が開催。同年6月には陸軍省が大日本陸軍従軍画家協会を結成、陸海軍省は戦地へ従軍画家を派遣する。現地部隊とともに行動する従軍画家には鶴田吾郎小磯良平藤田嗣治宮本三郎中村研一寺崎広業小早川秋聲、山田新一ら多くの画家がいた。同年7月「支那事変勃発一周年記念陸軍従軍画家スケッチ展」が開催される。

1939年4月には陸軍美術協会が創立、会長には陸軍大将の松井石根、副会長には藤島武二が就任した[3]。 同年7月には「第一回聖戦美術展」が東京府美術館で開催。主催は朝日新聞と陸軍美術協会、後援は陸軍省であった[4]。この頃には本来、軍とは無縁の二科展でも、戦争や日本占領下の外地を題材とした出品が増えている[5]

一方、海軍関係では、海軍省や海軍協会の支援を受け、1937年に海事思想普及を目的とした海洋美術会が発足。同年5月には日本橋三越で海洋美術展が開催された[6]。1941年には大日本海洋美術協会に発展した。

民間では、朝日新聞は以下の展覧会でも運営面に深く関わり、画家たちにも支援を惜しまず、戦争美術を牽引する大きな原動力となった。

1940年5月には「紀元二千六百年記念日本文化史展」「紀元二千六百年記念海戦美術展」が開催。同10月「紀元二千六百年奉祝美術展」が開催。

1941年7月には「第二回聖戦美術展」が開催。同年9月、「第一回航空美術展」開催

1942年1月には「大東亜戦争美術展覧会」が開催。同年9月「大東亜共栄圏美術展」が開催。同年12月「大東亜戦争美術展」が開催。

1943年5月には大日本美術報国会が横山大観を会長として創立。同年12月「第二回大東亜戦争美術展」が開催。

1944年10月には「戦時特別美術展」が開催。

1945年4月には「戦争記録画展」が開催。これら作戦記録画を目玉に据える各種戦争美術展の入場者数は、太平洋戦争下の最盛期において官展の10倍に達したとも言われる。

第二次世界大戦後

戦後、1945年10月4日に大日本美術報国会が解散[7]1946年にはGHQ軍国主義を象徴するものとして153点の「戦争記録画」が接収されアメリカに運ばれたが、1970年に日本に無期限貸与という形で返還され、現在東京国立近代美術館に保管されている[8][9] これまで部分的には公開されたことがあり、近代美術館の所蔵作品展に毎回数点展示される。また接収されなかった作品は、各地の美術館[10]や個人が所蔵している。

会田誠がこれらの作品から触発された「戦争画 RETURNS」という作品シリーズを発表している。

脚注

  1. ^ 『山下・パーシバル両司令官会見図』 昭和17年作 Archived 2007年9月28日, at the Wayback Machine.
  2. ^ 丸木美術館 原爆の図
  3. ^ 戦争画の名作を目指して『東京朝日新聞』(昭和14年4月16日)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p787 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  4. ^ 朝日新聞主催、戦争美術展開く『東京朝日新聞』(昭和14年7月7日夕刊)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p311
  5. ^ 賑やかな展示、目立つ向井潤吉の力作『東京朝日新聞』(昭和16年9月3日夕刊)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p565
  6. ^ 山下新太郎ら十三画伯が結成『東京朝日新聞』(昭和12年7月1日)『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p67 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  7. ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、345頁。ISBN 4-00-022512-X 
  8. ^ 戦後70年で実現 事実上の「戦争画展」「MOMATコレクション 特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示。」”. SANKEI.Biz (2015年10月26日). 2022年8月30日閲覧。
  9. ^ 全153点のうちこれまで戦争美術展で展示された132点のリストFile:WarArtExhibition.pdf
  10. ^ 吉田博 播磨造船所 絵画群”. 兵庫県立美術館 (2020年). 2022年8月30日閲覧。

参考資料

入門書
単行本
画集
  • 成橋均 他著『太平洋戦争名画集』 ノーベル書房、1967年
  • 『大東亜戦絵画美術集』 清風書房、1968年
  • 『太平洋戦争名画集 続』 ノーベル書房、1968年
  • 『戦争記録画修復報告』 東京国立近代美術館編集・発行、1978年3月
  • 『朝日美術館 テーマ編1 戦争と絵画』 朝日新聞社、1995年12月 ISBN 978-4-022-70601-0
  • 針生一郎椹木野衣他編 『戦争と美術 1937-1945』 国書刊行会、2007年、改訂版2016年 ISBN 978-4-336-06116-4
展覧会図録
年表
映像作品
  • テレビ宮崎 『秘匿 ~戦争記録画151点~』 1999年11月7日放送
  • NHK 『ハイビジョンスペシャル さまよえる戦争画 従軍画家と遺族たちの証言』 2003年8月放送
近代デジタルライブラリー

関連項目


戦争画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 04:38 UTC 版)

藤田嗣治」の記事における「戦争画」の解説

日中戦争勃発後に日本戻っていた藤田には、陸軍報道部から戦争記録画(戦争画)を描くように要請があった。国民鼓舞するために大きなキャンバス写実的な絵を、と求められ描き上げた絵は100200号大作で、戦場残酷さ凄惨混乱細部まで濃密描き出しており、一般に求められた戦争画のには当てはまらないのだった同時に自身は、クリスチャンとして思想を戦争画に取り入れ表現している。 1945年8月終戦で戦争画を描くことはなくなったが、終戦後連合国軍占領下で、日本美術会書記長同時期に日本共産党入党した内田巌などにより、半ばスケープゴートに近い形で「戦争協力者」と非難された。藤田は、連合国軍占領下1949年渡仏許可得られると「絵描きは絵だけ描いて下さい仲間喧嘩をしないで下さい日本画壇は早く国際水準到達して下さい」との言葉を残してフランスへ移住し生涯日本には戻らなかった。渡仏後藤田は「私が日本捨てたのではない。日本捨てられたのだ」とよく語ったその後も、「国のために戦う一兵卒と同じ心境描いたのになぜ非難されなければならないか」と手記中でも嘆いている。とりわけ藤田陸軍関連者の多い家柄にあるため軍関係者には知己多く、また戦後日本占領する連合国軍において美術担当当たったアメリカ人担当者とも友人であったがゆえに、戦後に「戦争協力者」のリスト作る際の窓口となるといった点などで槍玉あげられる要素があった。 パリでの成功後も、第二次大戦後も、存命中に日本では然るべき評価得られなかった。また君代夫人も夫の没後は「日本近代洋画シリーズ」や「近代日本画家作品集」などの、他の画家達と並ぶ形での画集収録断ってきた。没後には日本でも徐々に藤田評価高まり多く展覧会開かれている。

※この「戦争画」の解説は、「藤田嗣治」の解説の一部です。
「戦争画」を含む「藤田嗣治」の記事については、「藤田嗣治」の概要を参照ください。

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