遅れた公開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 09:47 UTC 版)
日本に戻ってきた『アッツ島玉砕』であるが、その公開は遅れた。まず戦時中に描かれた戦争画全般に関わる問題があった。アメリカで保管されていた戦争画の保存状態が悪く、その修復に6年間かかった。修復が終わった1977年、東京国立近代美術館の新収蔵作品展の中で戦争画約50点が展示されることになったが、直前になって中止された。戦争画の公開は諸外国との外交問題になり兼ねず、軍国主義の復活に繋がることなどが懸念された。その一方で戦争画の中には傑作もあり、美術史に位置付けていくことは重要であるとして公開すべきとの意見も強かった。結局、東京国立近代美術館は一括して公開という形ではなく、常設展示や企画展の中で少しづつ展示公開していくという一種の折衷案を取った。 また藤田の個人的事情が公開を阻んだ。前述のように戦後、戦時中の言動に対する批判が集中した藤田は、1949年3月10日に日本を離れアメリカに向かい、その後フランスへ行き、二度と日本へ戻ることは無かった。藤田は常々「私が日本を捨てたのではない、捨てられたのだ」と妻、君代に話していたという。1968年1月29日に藤田は亡くなるが、戦後のいきさつを見ていた君代は日本の美術界に対する抜きがたい不信感を持ち、藤田を紹介する著作や展覧会の中で、戦争画に関する部分については公開を拒否し続けた。
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