第二次大戦中の日本の戦争画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 08:37 UTC 版)
「戦争画」の記事における「第二次大戦中の日本の戦争画」の解説
1937年の日中戦争勃発後、1938年4月には「支那事変海軍従軍画家スケッチ展」が開催。同年6月には陸軍省が大日本陸軍従軍画家協会を結成、陸海軍省は戦地へ従軍画家を派遣する。現地部隊とともに行動する従軍画家には鶴田吾郎、小磯良平、藤田嗣治、宮本三郎、中村研一、寺崎広業、小早川秋聲、山田新一ら多くの画家がいた。同年7月「支那事変勃発一周年記念陸軍従軍画家スケッチ展」が開催される。 1939年4月には陸軍美術協会が創立、同年7月には「第一回聖戦美術展」が東京府美術館で開催。主催は朝日新聞と陸軍美術協会、後援は陸軍省であった。この頃には本来、軍とは無縁の二科展でも、戦争や日本占領下の外地を題材とした出品が増えている。 一方、海軍関係では、海軍省や海軍協会の支援を受け、1937年に海事思想普及を目的とした海洋美術会が発足。同年5月には日本橋三越で海洋美術展が開催された。1941年には大日本海洋美術協会に発展した。 民間では、朝日新聞は以下の展覧会でも運営面に深く関わり、画家たちにも支援を惜しまず、戦争美術を牽引する大きな原動力となった。 1940年5月には「紀元二千六百年記念日本文化史展」「紀元二千六百年記念海戦美術展」が開催。同10月「紀元二千六百年奉祝美術展」が開催。 1941年7月には「第二回聖戦美術展」が開催。同年9月、「第一回航空美術展」開催 1942年1月には「大東亜戦争美術展覧会」が開催。同年9月「大東亜共栄圏美術展」が開催。同年12月「大東亜戦争美術展」が開催。 1943年5月には大日本美術報国会が横山大観を会長として創立。同年12月「第二回大東亜戦争美術展」が開催。 1944年10月には「戦時特別美術展」が開催。 1945年4月には「戦争記録画展」が開催。これら作戦記録画を目玉に据える各種戦争美術展の入場者数は、太平洋戦争下の最盛期において官展の10倍に達したとも言われる。 戦後、1946年にGHQに153点の「戦争記録画」が接収されアメリカに運ばれたが、1970年に日本に無期限貸与という形で返還され、現在東京国立近代美術館に保管されているこれまで部分的には公開されたことがあり、近代美術館の所蔵作品展に毎回数点展示される。また接収されなかった作品は、各地の美術館や個人が所蔵している。 会田誠がこれらの作品から触発された「戦争画 RETURNS」という作品シリーズを発表している。
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