第二次大戦中・戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/24 16:06 UTC 版)
第二次世界大戦が勃発すると、ヨーロッパでワゴン・リ社の運行していた豪華列車はほとんど運休となった。しかしトルコは中立であったため、タウルス急行は直接的には影響を受けなかった。なお混乱を避けるため、ドイツの外交官はアナトリア急行を、イギリスの外交官はタウルス急行を使うという暗黙のルールが存在した。 レバノンからパレスチナにかけての地域では、大戦中にイギリス軍によってトリポリとベイルート、ハイファを結ぶ標準軌鉄道が建設され、イスタンブールからカイロまでが鉄道でつながった。ただし、戦争中は軍事輸送が優先されたため、タウルス急行の延長はなかった。 1947年にタウルス急行のレバノン方面の運転区間はベイルートまでとなった。しかし1948年のイスラエル建国と第一次中東戦争のため、再び線路は分断され、タウルス急行のカイロ直通は一度も実現しなかった。また1949年から1959年まで、アレッポ - ベイルート間は運休となっていた。 1954年には、トロス急行(タウルス急行)にトルコ国内のイスタンブール - ガズィアンテプ間を直通する客車が加わり、1956年にはイスタンブール - イスケンデルンの系統も加わった。 1960年にガズィアンテプからカルカミス(トルコ語版)までの路線が開通し、イスタンブールからヌサイビンまでトルコ国内のみを通って行けるようになった。この時から、イスタンブール - バグダード系統のトロス急行の編成は途中で2つに分割され、一方はガズィアンテプ経由で、もう一方はシリアのアレッポを経由し、カルカミスで再度連結されてバグダードへ向かうようになった。 ワゴン・リ社は第二次大戦後にはトルコでの営業を段階的に縮小していたが、1966年に同社の豪華列車としてのタウルス急行は廃止され、一般列車であるトロス急行にワゴン・リの寝台車が連結されるという形式になった。なおこれ以前の1962年に、かつてタウルス急行と接続していたシンプロン・オリエント急行は廃止されている。1972年には、ワゴン・リ社はトロス急行での寝台車営業から完全に撤退し、以後寝台車はトルコ国鉄の所属となった。 1967年、バグダードからバスラまでの標準軌鉄道が開業した。1970年にはトロス急行がバスラまで直通する予定と発表されたが、実現しなかった。 1970年代末にはトロス急行のバグダードまでの運行は不安定になり、運休や大幅な遅延が相次いだ。1980年代にはバグダード直通は廃止された。またレバノンでも内戦のため鉄道は不通となった。1983年の時点ではトロス急行はイスタンブール - ガズィアンテプ間のトルコ国内列車となり、これにアレッポまで直通する客車が連結されていた。1988年には、アンカラ経由からコンヤ経由の旧経路に戻っている。 2001年から、トロス急行にイスタンブール - ダマスカス間を直通するシリア国鉄の寝台車が連結されるようになった。しかし、トーマスクック海外時刻表は2008年時点において、この寝台車は実際にはアレッポまでしか運行されていない模様であると記している。 2008年6月、トルコ国内での改良工事のため、トロス急行はアレッポまでの直通寝台車とともに一旦廃止された。 2012年8月16日から、トロス急行はエスキシェヒル - アダナ間の列車として運転を再開した。2015年3月時点では、トロス急行はカラマンとアダナの間の列車として走っている。2019年12月現在ではコンヤとアダナを結んでいる。
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